Monday 31 August 2009

「ウグイス譲」をフランス語でいうと

ひとつ忘れないうちに。

選挙運動で、宣伝カーから候補者の名前を連呼する《ウグイス譲》ですが、フランス語でなんというかご存知ですか。

答えは、Demoiselle rossignolです。日本語の単語を、そのままフランス語の単語に置き換えただけですが、そう言うみたいです。

cf.: Le Japon prêt à tenter une alternance historique
Par Philippe Mesmer, publié le 29/08/2009 11:00 - mis à jour le 29/08/2009 11:43

選挙結果についての記事

朝から冷えますね。なんでも今日の気温は、10月ごろのものだとか。

正直言って、選挙の結果には驚きました。まさか、これほど大きな変化が起きるとはさすがに想像しておりませんでした。

そこで、一通りフランスの主要新聞・雑誌のサイトに掲載された日本の今回の選挙関連記事に目を通してみました。(『Le Monde』、『Le Figaro』、『Obs』、『Libération』、 『L'Express』、そしてドイツの『Spiegel』など)

上記メディアのうち、ほとんどは選挙の結果を淡々と伝えているだけでしたが、エクスプレスとシュピーゲルの記事は、事の本質を捉えているように思えたので、少し紹介しておきます。もっとも、その内容は、日本では多かれ少なかれ誰もが知っていることなのですが。

まず、エクスプレスの記事(Le Japon prêt à tenter une alternance historique
Par Philippe Mesmer, publié le 29/08/2009 11:00 - mis à jour le 29/08/2009 11:43)から。

なお、日付を見るとお分かりのように、これは投票日の前日に書かれた記事です。でも、政権交代がほぼ確実に実現する見通しと書かれています。面白いと思ったのは、リードの部分で、ちょっと引用させていただきますと

Séisme électoral en vue! Après plus d'un demi-siècle, les conservateurs du PLD
devraient céder le pouvoir au PDJ réformateur lors des législatives de ce
dimanche. La fin du soutien aveugle à Washington, mais pas des dynasties qui
gouvernent l'archipel.

と書かれてありまして、最後のLa fin du soutien aveugle à Washington, mais pas des dynasties qui gouvernent l'archipel.というところが、さすがに良くわかっていらっしゃるといった感じです。つまり、「アメリカに対する無条件の支持の終焉、でも、"王朝"による日本の支配が終わるわけではない」といったような意味です。ここでいわれている王朝とは、天皇家ではもちろんありません。敗北した自民党総裁麻生太郎氏も、勝利した民主党代表の鳩山由紀夫氏も、それぞれ祖父が首相経験者なので、結局日本は、そのような"王朝"による支配が継続している国なんだということを記者は言いたいのです。その意味では、今回の政権交代は、吉田王朝から鳩山王朝への支配(王権)の移動というわけですね。フランス人にとって、王朝や王家などという言葉は、革命以前の時代の語彙に属するわけですから、彼らの感覚にとっては、日本は到底近代市民国家とは程遠い政治形態を持っている国と映るのでしょう。

記事の本文には、両氏ともお金持ちの息子(botchan:《ぼっちゃん》)であること、さらに、日本の議員には世襲が多いこと(自由民主党では、35.1%、民主党でも、10.6%)が紹介されており、特に世襲議員の代表格として小泉元首相の息子進次郎氏が挙げられていました。ただ、麻生自民党が小泉総裁時代に続いてアメリカべったりだったのと異なり、民主党が政権に就いたら、ワシントンとはかなり距離を置くことになりそうだとも書かれてありました。

それともうひとつ感心したのは、日本のメディアが取り上げていない、老人党が言及されていたことでした。

次は、ドイツのシュピーゲル誌の記事です。

30. August 2009, 16:27 Uhr
Historischer Wahlsieg
Hatoyama beendet Japans Einparteienherrschaft

こちらの記事は選挙の結果が確定してから書かれたもので、内容で目を引いたのは、Keine Partei im westlichen Sinneという中見出しに続く段落でした。自民党のことを言ったもので、ようするに、同党は西洋の概念では、ひとつの政党とは定義できない存在ということです。

日本でもよく言われてきたこと(シュピーゲルの記者も日本のメディアを通して知ったのでしょう)ですが、自民党という集団は、それ自身の中に与党と野党を含んでいるようなもので、所属議員たちは、社会に存在する様々な団体と結びつき、それらにとっての利益を獲得することが彼らの仕事でした。もちろん、それによって、彼らも利益が得られるからです。そして、党は、そうした団体の代表である政治家間の調整役として機能していたわけです。しかし、自民党議員の支持基盤である農村の経済的疲弊や、大企業の経営不振などにより、個々の団体へ分配できる利益が大幅に減少した結果、このような仕組みは働かなくなってしまいました。つまり、個々の団体に利益を分配することで維持できていた権力も分配するものがなくなったことによって彼らから去って行ってしまったというわけです。

というようなことが書かれていました。

まずは、これにて。

Sunday 30 August 2009

選挙の結果は

もし、政権が変わったら、先日、「現代の神々と祭司たち」という投稿の中で述べたような、官僚=神々、政治家=祭司、団体=氏子、さらに加えれば、アメリカという絶対神によって構成されている、この国のこれまでの形がこわれるのか、それとも、やはりこの形が存続してゆくのかおおいに興味がある。

アメリカと日本は本当に価値観を共有しているか

少々小言幸兵衛のようですが、最近、テレビを観ていて政治家(例えば、今の総理大臣)などが口にする言葉で気になったものがあるので、ご紹介します。

それは、「日本とアメリカは価値観を共有している」という言葉です。この言葉を聞くたびに「うーん。確かに表面上はそう見えるかもしれないけど本当にそうなのかなぁー」と頭の中でつぶやいています。さらに、「ナイーブと言うのか、よくもまぁそう自信をもって言い切れるものだ」とも。

彼らによると、日本はアメリカ同様、民主主義や自由主義を信奉しているからというのですが、確かにこの間の戦争に負けて、戦勝国のアメリカの指導によりこうした考えを土台にした諸制度が導入されました。でも、そのちょっと前までは、「進め一億火の玉だ」とか、「一億層玉砕」とか叫ばれていたわけで、現人神と仰ぐ天皇を頂点とする国体護持のためにすべての国民が生命を犠牲にすることが求められていたのです。(8月15日がすでに過ぎているにもかかわらず、このようなことを書くのは少々季節遅れかもしれませんが。日本では、季節ごとに語られるテーマが決まっているので。)

それが、戦争が終わったと同時にアメリカの従順な教え子として、恩師から教わる様々な価値観を無条件で受け入れるようになる。こうした変節がなぜ可能だったのか、不思議でならないのです。といいますか、そのときアメリカから教わったことは、今でも本当に理解されているのだろうかという疑問が、最近頭から去らないのです。

先日、『戦前日本人の対ドイツ意識』という本を読みました。なかなか興味深いことが、しかもわかりやすく書かれていて、読んで得した気持ちになった一冊でした。この本によると、1930年代、ナチスが政権を掌握したとき、日本では人種差別を公言するヒトラーに対する警戒感のほうが支配的でしたが、1939年のドイツのポーランド侵攻に始まる、周辺各国への電撃的な軍事作戦の成功が伝えられると世論はこぞってドイツを贔屓するようになります。個人より国家を重視し、前者は後者に奉仕すべきという国家社会主義(Nationalsozialismus:ナチズム)は、日本の国体護持を最優先とする思想に近いなどという論説なども現れます。とにかく強い者につきたがるというのは、この民族の伝統的な習性のようです。

「バスに乗り遅れるな」という合言葉が新聞に頻繁に現れるのはこの時期です。ようするに、勝ち馬に乗り遅れるなということです。1940年、フランスがドイツに屈して、アジアにおけるその影響力がなくなったと判断するやいなや、日本は仏領インドシナへの進駐を開始します。

ここで面白いと思うのは、この時期、日本では、「ドイツ最高、ヒットラー万歳」という風潮が支配的だったのに反して、当のドイツにおいては、ポーランド侵攻、すなわち実際の戦争への突入を契機に、国民の国家に対する信頼が揺らぎ始めていたということが、最近の研究でわかってきたと言うことです。

手元にある『Volkes Stimme』という本にそのあたりの事情が述べられていて、例えば、「フォルクス・ワーゲン貯蓄」の加盟者数の推移がそれを如実に示しているといいます。「フォルクス・ワーゲン貯蓄」というのは、当時、購入代金の半分まで貯蓄すれば、ナチスが生産している文字通りの国民車であるフォルクス・ワーゲンを手にすることができるという制度ですが、その加入者の数が、1938年から1939年までは、8万から10万だったのに対して、戦争が始まった1940年の12月には、2万以下に減少しているのです。―75%以上という急激な落ち込みです。この調査を紹介したPhilipp Kratz氏は、これは、国民のナチス、すなわちヒットラーの戦争遂行能力に対する信頼の変化をあらわしているといいます。誰だって、自分の国の将来に不安を感じるとき、国営の機関などにお金を預けようとは思いませんものね。

戦時中、ドイツに対してこの国の国民が抱いていた熱狂は、戦後は、ドイツや日本を敗北させた超大国アメリカへと向かいました。変わり身の早さ、変節の巧みさには驚くものがあります。そして、現代においては、自分たちはアメリカと価値観を共有していると自信をもって言い切ってしまう。こうした日本人の、自らの過去をいとも簡単に忘れてあっけらかんとしている姿勢に漠然とした危うさを感じてしまう昨今なのです。

参考:
岩村正史『戦前日本人の対ドイツ意識 』, 2005, 慶應義塾大学出版会 
Göty Aly 編『Volkes Stimme Skepsis und Fürervertrauen im Nationalsoyialismus』, 2006, Fischer Verlag GmbH, Frankfurt am Main

文明と人名 (補足)

前の投稿の内容を補足させていただきます。

人間と他の動物の区別は、例えば、言葉にも表れています。具体的には、西洋の言葉において、人間と動物の身体の各部分の呼び方が異なるのです。

フランス語では、犬などの肉食獣の口を《gueule》と呼びます。人間の口や顔をgueuleと言うこともありますが、非常に下品な表現です。 ドイツ語でも、《Maul》というのは動物の口のことで、通常、人の口には使いません。さらに、ドイツ語では「食べる」という動詞は、人間の場合は《essen》を使い、動物の場合は《fressen》です。(人間の場合でも、ときに後者を使うこともありますが、あまり上品な表現ではありません。)

さらに、四足動物の足ですが、フランス語では《patte》という言葉を使い、人の足を意味する《pied》などは使いません。日本語でも、正しくは《前足》、《後足》と呼びますが、一般的に私たちは、猫や犬などの前足を《手》とよんだりしています。

また、鳥や獣の足の爪は、フランス語では《griffe》、さらに猛禽類については、《serre》という言葉で呼びます。日本語の場合、虎やライオンの場合も、あるいは鷲の場合も、皆等しく人と同様に《爪》という言葉で呼んでいます。

ただ、ここでひとつ断っておきたいのは、こうした、言語に見られる人間と動物の差別化の原因が、単純にキリスト教の影響によるものということはできないということです。フランス語にしろ、ドイツ語にしろ、少なくともその元となる言語は、常識的に考えてキリスト教が入ってくる前から存在していたでしょうから。どちらかというと、言語のほうが宗教に影響を与えた、あるいは宗教の枠組みを規定したと考えたほうが自然でしょう。とはいえ、ヨーロッパの言語にせよ、キリスト教にせよ、いきなりこの世に現れたわけではなく、前者の場合はラテン語やギリシャ語、後者の場合はユダヤ教といったように、それぞれ先祖をもっているので、さらにこれらの先祖の過去を辿ってゆくと、何か別のことがわかってくるかもしれません。とりあえずは、ユダヤ教やキリスト教は、上述のように、人間と動物が全く別の存在であるという世界観が支配的な土壌において誕生したと考えてよいでしょう。

それから、日本では個人名が公共施設などに付けられることが極めて少ない理由として、御霊信仰や儒教の影響が考えられるのではと書きましたが、さらにそれに加えて、日本独特の農耕村落共同体の習性もある程度の影響を与えているかもしれません。すなわち、特定の個人の価値を重要視しない、あるいは個人が目立つことを好まず、みんなが一緒に同じことをするのが理想的という考えです。もっとも、それには例外があって、外国で優秀な働きをするスポーツ選手、ノーベル賞受賞者、宇宙飛行士などがそれにあたります。外国で評価されると、生き神のように祭り上げるというのが、現代のこの国の面白い風習です。昔は皇室との関係、今は、外国との関係が権威の裏づけとなっているようです。

これに関連して、面白いのは、日本人の《平等》という言葉の理解の仕方です。みんなが同じになること、同じことをすることが《平等》の意味であるように一般的に信じられている、そんな気がしてなりません。例えば、日本中どこの地方もみな同じようになることが平等といったふうにです。ところが、中央集権国家であり、《自由》、《博愛》とともに《平等》をモットーとするフランスを旅行していて気がつくのは、それぞれの地方の伝統、文化といった特色が非常に違う、そしてそれらが愛され尊重されているということです。こうした地方の独自性こそがフランス全体の豊かさのを作り上げているのではないでしょうか。年間8000万人という観光客を集めている、世界一の観光国のフランスの強さのひとつの理由はそこにあると思うのです。日本の地方でも、独自色を打ち出そうとしている所があります。でも、それを、海外からの評価を得ることで実現しようとする地域も少なくなく、ギネスブックに載せてもらうために、世界一長い何かを作るといったような行動に現れています。

Saturday 29 August 2009

文明と人名

外国の、例えばフランス、あるいはアメリカの法律には、それを提出した議員さんの名前が付けられていることが少なくありません。日本では考えられませんね。

最近のフランスにおける例を挙げれば、セリエ法(loi scellier)というのがあります。 François Scellierさんという議員が提出した、不動産税制に関する法律です。(La Tribuneのサイト上において、来る9月2日、セリエさん自身とこの法律について、チャットで議論できるのだそうです。これも、日本では考えられませんね。

http://www.latribune.fr/patrimoine/20090826trib000414697/chat-le-2-septembre-avec-francois-scellier-depute-conseiller-general-du-val-d-oise.html)

また、ヨーロッパの街角をあるいていると、あるいは地図を眺めても気がつきますが、道や通りに人の名前や歴史上重要な出来事がおきた年月日などがついていることに気がつきます。これも日本では見られません。

こうした個人の名前は、他に学校などにもつけられています。例えば、先日訪れたフランスのマルセイユでも、マルセル・パニョル、あるいはジャック・プレヴェールの名を冠した中学校を見かけました。

さらに、ヨーロッパを鉄道で旅行すると、乗車した特急列車の愛称に偉人の名前がついている場合があります。日本では、ごくわずかな例外を除き、やはりこうしたケースはありません。*1)

交通関連でいうと、リヨンの飛行場には、サン・テグジュペリの名が付され、また、パリの飛行場にもド・ゴール大統領の名前がついています。アメリカでは、NASAのジョンソン宇宙センター ニューヨークのケネディ空港等等、枚挙に限りがありません。

軍艦も同様です。外国では、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales:英)、キング・ジョージ5世(King George V:英)とか、ビスマルク(Bismarck:独)、あるいはリシュリュー(Richelieu:仏)といった名前がつけられますが、帝国海軍では、旧国名(戦艦:長門、武蔵など)、山や川の名前(巡洋艦:鳥海、妙高など)、気象現象をあらわす言葉(駆逐艦:初霜、雪風など)がつけられました。なお,南極観測船しらせは、直接的には人名ではなく、白瀬大尉に因む白瀬氷河からつけられたものです。

ただ、面白いことに、明治時代に鉄道の機関車に個人名が付けられたことがあります。鉄道ファンならご存知の方もおられると思いますが、北海道の官営幌内鉄道(手宮-幌内)を走った弁慶号、義経号、静号などの6両です。これらは、アメリカから輸入された、牛よけつきの前輪軸数、動輪軸数がともに2本(2B:ウェスタンスタイル)という西部劇に出てきそうな7100型機関車ですが、ほかの3両には、「比羅夫」、「光圀」、「信広」という名前がつけられました。それぞれ、安倍比羅夫(あべのひらふ)、徳川光圀(とくがわみつくに)、そして武田信広(たけだのぶひろ)のことでしょう。安倍と武田は、北海道の先住民と戦って勝利した武将、そして、徳川光圀、すなわち水戸の黄門様は、なんでも北海道の調査を命じたとか。いずれにせよ、この三人は北海道とは縁があるわけです。交通博物館のサイトの解説では、当時の欧米の慣習に従って、機関車に歴史上の人物の名前をつけたとありますが、当時のニューヨーク領事であった高木三郎の意見によったものともいわれています。

ここで、少し話が横道にそれます。ご容赦を。

ところで、明治のクーデター政権(あるいは、開拓使でしょうか)が徳川家の人間の名前をよくつけさせてくれたものだと思いますが、それよりさらに奇異に思えるのは、なぜ弁慶、義経、静御前の名前を選んだのかということです。確かに、伝説によると義経主従は、奥州平泉から、兄頼朝の掃討を逃れるため北海道に渡ったといいます。さらに、そのまま大陸に渡り、モンゴルまで行ったとか。そう考えれば、彼らも北海道とは無縁ではありません。でも、なにかしっくりしません。少なくとも個人的にですが。

高木三郎と言う人は、旧庄内藩士の息子で、その家は戊辰戦争の折、クーデター軍から朝敵(天皇の敵)と呼ばれた側に属していました。そこから、想像をそうとう膨らませたのが以下の仮説です。あくまでも、当該の機関車の命名者が高木自身であったとしたらという条件つきですが。

戊辰戦争に勝利した薩長等のクーデター軍は、北海道に逃げ込んだ榎本武揚率いる旧幕府艦隊の残存部隊を函館まで追撃し、彼らを降伏に追い込みます。榎本たちは、北海道の地で旧幕臣団による共和国の建設を望んだのですが、その希望は潰えてしまいます。高木は、庄内藩士を父に持つ身として、こうした旧幕軍の最後を十分承知していたはずです。そして、榎本たち旧幕臣たちの北海道に託して実らなかった夢も。

東北出身である高木にとって、義経たちの物語、さらに彼らにまつわる伝説もなじみのあるものだったでしょう。さらに、兄が差し向けた軍勢によって殺された義経とその忠実な家来の運命は、クーデター軍によって滅ぼされた奥羽越列藩同盟の東北諸藩のそれに重なるものがあったかもしれません。そして、民衆たちの義経たちへの同情から生れたと思われる、彼らの北海道生存伝説と旧幕臣団の北海道共和国というはかない夢もどこかつながっていたのではないでしょうか。ことによると、高木は、今や、彼らを滅ぼしたクーデター政権によって推し進められている北海道開拓の最前線で活躍する機関車に、彼らと同様の運命を辿った義経、弁慶、静という名前をつけることにより、彼らの思いを遂げさせてやろうとしたのではなかったか。そんなことを想像しています。少々ロマンチストすぎますね。

もとの話に戻りましょう

西洋では公共の施設や乗り物に人の名前を冠するが、日本にはそうした習慣はないのはなぜかということですが、その理由をひとことでいうと、前者は、ユダヤ・キリスト教の影響、後者は御霊信仰、あるいは儒教の影響ではないかと思っています。

先に、日本のケースについて考えてみましょう。御霊信仰というのは、不本意な死に方をした人間は、死後も霊としてこの世に生きる人々に良くない影響、つまり危害を及ぼすという考えです。菅原道真や崇徳院などにまつわる言い伝えが、その代表的な例です。彼らの祟りを鎮めるために適切な祭祀が執り行われる必要があります。そして、儒教では、霊はよりしろに宿ると言う考えがあります。つまり、何かに霊が乗り移るという信仰です。人が亡くなったとき、その人が日常使っていたもの(例えば湯のみ茶碗など)を壊す習慣があります。これは、その人の霊がそれに乗り移ることを避ける意味があると思われます。また、遺体の上に刃物を載せますが、これは、反対に霊の抜け殻となった遺体に別の霊が宿るのを防ぐためです。基本的に、誰しも死ぬのはいやですから、できれば死後もこの世に、家族のそばに留まりたい、ただ、そのためには何らかのよりしろが必要なのです。しかし、一般的に、死んだ人の霊がこの世に留まり続けるのは、良いこととは思われていません。やはり、それは不自然なことであり、ともするとその霊は、生きている人に良くない影響を与えることがありうるという考えは、私たちの間に広く浸透しています。

以上が、日本において、欧米におけるような、通りや学校やその他いろいろなものに、人の名前をつけるという習慣が根付かなかった理由です。つまり、何かに人の名前をつけてしまうと、その人の霊がそこに宿ってしまうのではないかというほとんど無意識の恐れがあると思えるのです。例えば、学校にある人物の名前を付したとします。そして、あるときそれが火事で消失でもしたりしたら。私たちは、それにより、その学校に名前が付けられた人の(霊の)怒りを買ってしまい、何か良くないことが起きるのではないか、そういう心配は持たないでしょうか。

施設に人の名前が付けられても大丈夫な場合は、主に神社等の宗教施設です。身近な例では、東郷神社、乃木神社などです。もちろん、両者とも偉功を成し遂げた軍人であり、軍事大国を目指した当時の政府のプロパガンダの道具的側面も否定できませんが。この場合、彼らは神として正しく祭られているので、安心というわけです。正しく祭られれば、特に生前に偉大な働きを行った人の霊は、生きている人たちに恩寵を与えてくれます。

そして、今度は、西洋のケースです。キリスト教文化が支配的な今日の西洋では、少なくとも上記のような考えはほとんどありません。生き続ける死者としてのヴァンパイヤの伝説もありますが、基本的に人間に危害を与えるのは、悪魔です。しかし、悪魔に対する恐れより、人間こそがこの世の主人公であるという考えのほうが優勢です。人間は、他の被造物(神によって創造されたもの、自然や動物など)に比べ、まったくことなるステータスが与えられています。彼は、他の被造物の主人であり、管理者なのです。ですから、人間が造った施設など、すわなち文明の所産に人の名前をつけるとは、この世界に支配者としての刻印を残すことであり、ごく自然なことなのです。

【神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 】
- 旧約聖書 創世記 1章 27,28節(新共同訳)

そして、最後に忘れてはいけないことは、こうしたキリスト教(及びユダヤ教)の、人間が自然も含め、他の被造物の支配者であるという思想には、同時に、彼らを管理し、保護するという責任と義務を負っているということも含まれるので、環境の劣化に対する関心やその保護に積極的に取り組む姿勢を生み出す契機をも提供しているということです。


スイス イッティンゲン(Ittingen)にて

*1 EuroCity(欧州国際都市間特急)の愛称(例):
フランツ・リスト(FRANZ LISZT) ブダペスト― ウィーン
バルトーク・ベラ(BALTOK BELA) ブダペスト― ウィーン
モーツァルト(MOZART) ミュンヘン― ウィーン
スタンダール(STENDAHL) パリ― ヴェニス
パウ・カザルス(PAU CASALS) チューリヒ― バルセロナ
フランシスコ・デ・ゴヤ(FRANSICSO DE GOYA) パリ― マドリード
マリア・テレジア(Maria Theresia) ウィーン― インスブルック― チューリヒ
ヨハン・シュトラウス(Johann Strauss) ウィーン― ヴェニス
アントン・ドボルザーク(Antonín Dvořák) ウィーン― プラハ
ヨハン・グレゴール・メンデル (Johann Gregor Mendel) ウィーン― プラハ
パガニーニ(Paganini) ヴェロナ― ミュンヘン
ミケランジェロ(Michelangelo) リミニ - ミュンヘン
レオナルド・ダヴィンチ(Leonardo Da Vinci) ミラノ― ミュンヘン
デゥマ(Dumas) ミラノ― パリ(TGV)
カイザリン・エリザベート(KAISERIN ELISABETH) チューリヒ―ザルツブルク
サルバドール・ダリ(SALVADOR DALI) ミラノ― バルセロナ
ストラディヴァリ(STRADIVARI) ウィーン―ヴェニス
ドン・ジョヴァンニ(DON GIOVANNI)ウィーン―ザルツブルク
ロッシーニ(ROSSINI) ウィーン― フィレンツェ― ローマ
トスカ (TOSCA) ウィーン― ローマ
* ドン・ジョヴァンニとトスカは、オペラの登場人物の名前ですが。

Thursday 27 August 2009

現代の神々と祭司たち

どうでもいいことなのですが、「天下り」という言葉がいつ頃から使われ始めたのか、以前から気になっていたので、先日、市立図書館に出かけた折、読売新聞のデータベースで検索してみました。

すると、字こそ違え、「天降り」という言葉自体は、1896年(明治24年)8月24日の朝刊2面「官海の輿論」という記事の中で用いられているのが最初だったことがわかりました。ただ、ここでは、現在のように、退職した官僚が特殊法人や民間企業に再就職するといった意味で使われてはおらず、政治家が各省庁のトップ、すなわち大臣や長官に就任するといった意味で使われていました。前者のような意味で用いられるようになったのは、果たしていつ頃からか、それについて調べている時間はなかったのですが、天下りという言葉はやはり日本人にとってなじみの深い言葉なのでしょう。

「天下り」という言葉は、記紀神話が伝える天孫降臨の物語に由来しています。天孫降臨の物語とは、それを作り上げた為政者の意向をもっともよく反映していると考えれらる『日本書紀』の第一の一書によると、次のような話です。

「あるとき、高天原(たかまがはら:天上にある神様たちが集う場所)において、神々の司令官である天照大神(アマテラスオオミカミ:天皇家の先祖)がニニギノミコトという神様に、地上、すなわち日本の地に《下る》ことを命じ、後者はそれに従い、日向の高千穂の峰に降り立った。」

日向というのは、今の宮崎県のあたりをあらわす地名ですが、そのなかに太陽神である天照大神と関連のある《日》という文字が入っているために作者によって選ばれたのだろうと言われています。そして、このニニギノミコトから、天皇家による日本支配が始まったとされています。

ところで、神々が集う高天原では、この世の森羅万象について評議がされますが、現代の世の中で森羅万象を司っているのは、(少なくとも日本においては)宮庁であり、そこで働く官僚たちです。俗に、役所や役人の総称として《お上(かみ)》と言う言葉が使われますが、正に言い得て妙です。実際、今日の日本において、行政のみならず、それに加えて立法、司法の三権を司っている官僚こそ、現代の《神々》と言ってよいでしょう。では、本来、法律を制定し行政の指揮をとるという自らの役割を、すべて官僚にゆだねている政治家たちはというと、彼らは、これらの神々を《祭る(まつる)》祭司と言えます。古来、日本において政治とは「まつりごと」であり、神々をさまざまな捧げものや芸能によって楽しませ、彼らから恩寵を受けることを意味しますが、これら現代の神々と祭司たちは、無意識のうち(?)にこうした、およそ近代市民社会とは無縁の図式に従ってそれぞれの生存と権益を守り続けているわけです。そして、業界団体は自分たちの利益を増やしてくれる族議員にすがり、地域共同体は、できるだけ多くの税金が自分たちの地域共同体に還元されることを願って、それをかなえてくれそうな人物を議員として選出し国会に送り込もうとします。彼らは皆、現代の祭司である政治家たちの《まつりごと》によって、官僚という神々から恩寵が与えられることをひたすら祈る氏子たちと言うことができます。彼らにとっては、個々の業界の共同体、そして、個々の地域の共同体の存続と繁栄だけが課題であり、それらすべてを包含する《全体》という視点は不在です。このような、いわば《ゲーム》が続いているのは、宗教改革もルネサンスも市民革命も自発的に経験せず、環境の変化に対応するためだけの目的で近代国家になろうとしたこの小さな島国の宿命といえばそれまでですが。

フランスの新型インフルエンザ対策

今更ながらですが、フランスにおけるA/H1N1型インフルエンザ対策の内容を少しご紹介します。

フランスにおけるワクチンの予定確保量(発注した量)は94,000,000本で、早ければ9月から徐々に使用可能となるそうです。なお、効果を確実にするため、2回の摂取が必要であるため、単純に計算して47,000,000人分はまもなく確保できるということになります。

参考までに、フランスの人口は、2008年現在、フランスの人口(海外県も含む)は63,578,000人で、その内訳は、次のとおりです。

20歳未満:15,901,940人
20歳から59歳:34,164,647人
60歳以上:13,511,413人
(INSEEの資料より)

因みに、今日の世界のワクチン市場をリードしているのは、ご存知かもしれませんが、GlaxoSmithKline (GSK)(英)、 Novartis(スイス)、そしてSanofi Pasteur(フランス)です。

なお、マスクの着用については、その効果が科学的に証明されていないことから、フランスの保健当局としては、特に奨励はしていません。

参考:
Grippe A(H1N1) : les étapes de la course au vaccin
LE MONDE | 15.08.09 | 14h22 • Mis à jour le 15.08.09 | 19h13

Les questions que les Fançais se posent sur l'épidémie
La Tribune.fr - 19/08/2009 | 08:46

Thursday 6 August 2009

日本の裁判員裁判とフランスの重罪院(cour d'assise)

最近、日本でも裁判員制度が施行され、連日マスコミによって最初の裁判員裁判の模様が報道されています。こうした一般市民が職業裁判官と一緒に審理を行う制度は、フランスにも存在していて、それが行われる機関は、クール・ダシーズ(cour d'assise)と呼ばれ、日本語では《重罪院》と訳されます。重罪院は、その名称のとおり、未遂既遂の殺人、レイプ、凶器を用いた強盗などの重大凶悪犯罪を裁く法廷であり、2000年1月以降、再審請求が可能となりましたが、上級裁判所への控訴制度はありません。重罪院で宣告された判決に対し、不服の申し立てがあった場合は、新たに選出された陪審員(juré)たちにより構成された重罪院で再審が行われます。ただ、過去において、再審の請求が行われた例は少ないようです。その理由としては、凶悪事件が対象となるため、再審が行われた場合、量刑が重くなる可能性が大きいからと言われています。

アングロ・サクソン各国の、判例に基づくコモン・ローとは異なる大陸法(成文法)を採用しているフランスやドイツなど(特に刑事裁判制度はドイツ)に倣って司法制度が形作られたわが国で導入された裁判員制度は、やはり後者二国の陪審制度、あるいは参審制度を手本としたようです。もっとも、陪審制度発祥の地は英国であり、それを、フランスではフランス革命以降、そして、ドイツでもフランスの影響を受け、それぞれ導入しています。

* フランス語のassiseは、英語ではassizeですが、『シャーロック・ホームズ』シリーズなどでは、やはり陪審制裁判を示す言葉として現れま す。(cf.:「The Boscombe Valley Mystery」 in 『The Adventures of Sherlock Holms』等 面白いのは、時にホームズ先生が、ベーカーストリート221Bの自室で、自らを裁判官(judge)、ワトスン博士を陪審員(jury) として私設の法廷(?)を開き、犯人に無罪の判決を下すというシーンが登場すること。やはり、陪審員制度発祥の地で生れた探偵小説ならではのことですね。 cf.:「The Abbey Grange」in 『The Return of Sherlock Holmes」等)
しかし、日本の刑事裁判制度における裁判員裁判の位置づけは、その審理の対象が地方裁判所が管轄する事件に限られており、そこで下された判決については、従来どおり上級裁判所への控訴が可能であるため、この点では、上述のフランスの重罪院における裁判とは異なります。それでは、参審制と称される、ドイツの裁判における市民参加制度と比較した場合は、どうでしょう。ドイツでも、市民が参加する審理(Shöffengericht - 慣例的にSchwurgerichtと呼ばれることもあります)の対象となるのは、フランス同様、人命に危害が及ぶ事件です。まず、量刑が4年未満と判断される事件に限っていうと、初審は、区裁判所(Amtsgericht)で市民が参加して行われ、そこで宣告された判決に不服がある場合は、上級裁判所である州裁判所(Landesgericht)に控訴することができるので、この点では日本と似ています。ただ、日本の高等裁判所における控訴審では、職業裁判官のみが審理に当たりますが、ドイツでは、州裁判所における控訴審の審理にも市民が参加します。次に、量刑が4年以上の禁固刑に相当すると判断された重大事件については、市民参加のもと州裁判所で初審が行われますが、その判決について上級裁判所である上級州裁判所(Oberlandesgericht)への控訴は認められておらず、連邦通常裁判所(Bundesgerichtshof)への上告のみが可能とされています。この場合、上告審は、連邦通常裁判所の大刑事部(Großer Senat für Strafsachen) で行われますが、ここでは職業裁判官のみが審理にあたります。

以上、非常にわかりづらく、中途半端な説明になってしまい、忸怩たるものを感じますが、日本の裁判員制度は、刑事裁判制度全体を視野に含めた場合、どちらかというと、やはり刑事裁判制度の導入元であるドイツのそれに近いといってよさそうな気がしないでもありません。が、いくつかの点でそう言い切ってよいものか判断しかねるというのが偽らざるところです。

さて、前置きが長くなりましたが、最近、このフランスの重罪院で審理された事件で少々気になったものがあったので、ご報告します。

その事件が発生したのは、2006年1月20日から21日にかけての夜。当時23歳だった携帯電話販売員のイラン・アリミ(Ilan Halimi)さんは、主犯である28歳のユスフ・フォファナ(Youssouf Fofana)被告を中心とする若者のグループによって拉致された上、オ・ドゥ・セイヌ(Hauts-de-Seine)県のバニュー(Bagneux)の集合住宅(HLM)内の一室に監禁され、彼と27名の共犯者から数週間に及ぶ暴行を受けました。そして、2月13日、レソンヌ(l'Essonne)付近の鉄道の線路脇で発見され、病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。犯行グループは、アリミさんの監禁中、600回にわたって被害者の自宅に電話をかけ、両親に450,000ユーロに及ぶ身代金を要求しました。日本でも間違いなく裁判院裁判の対象となる事件です。なお、アリミさんはユダヤ人でした。

当然、このケースは、一般市民が裁判に参加する重罪院(事件当時少年を含むため、少年重罪院)に送られ、先日判決が下りました。その内容は、主犯格のフォファナ被告に対しては終身懲役刑(1981年の社会主義政権による死刑廃止後フランスにおける最高刑)、そして、共犯者のうち、2名は無罪、それ以外の25名には執行猶予付きの禁固6ヶ月から懲役18年というものでしたが、アリミさんを連れ出す役を演じた女性は(事件当時未成年者)は、9年の禁固刑でした。

逮捕後のファファナ被告のユダヤ人に対する激しい差別的言動の影響もあり、共犯者に下されたこれらの判決に対し量刑が軽すぎるとする、被害者の家族はもちろん、全国のユダヤ人団体や人権擁護団体などの猛反発を受け、アリオ・マリー(Michèle Alliot-Marie)司法相が、検察側に再審の請求を行うよう求めるという異例の事態に発展しました。このような政府側の司法への介入に対し、もちろん被告側の弁護団は一斉に反発しましたが、結局、共犯者のうち、14名について重罪院での再審が決定したというのが、現在までの経緯です。

この事件に関する一連のニュースを読みながら、日本で発生した類似の事件を思い出しました。1999年に発生した栃木リンチ殺害事件です。それはまた、同年に発生した、桶川ストーカー事件と共に捜査に当たろうともしない警察の姿勢や責任が厳しく問われた事件でもありました。今後は、日本でも、こうした凶悪な事件の裁判に一般市民が裁判員として参加することになるわけですが、私たちが司法の現場に立ち会い、そこで体験し感じたことが、昨今色々と不備が指摘されている司法制度、さらには行政制度に積極的にフィードバックされ、この国に、普遍的な人権の概念と主権者である市民としての意識が広く浸透し、それらを十分に反映する真の近代市民国家としての形が整うことを願うものです。


サン・テチエンヌ近郊 知人宅の庭先で

参考資料(主なもの):

I. 文献

・東京三弁護士会陪審制度委員会 編 『フランスの陪審制とドイツの参審製 ― 市民が参加する刑事裁判
 ― 』, 1966, 東京
(とてもわかりやすく書かれている本でお奨めです。)

* 今日の重罪院制度をめぐる議論や、特に同院に焦点をあてた司法制度改革についてご興味をお持ちの方には、次の2冊をお奨めします。
・L'Harmattan 編 『Pour une réforme de la cour d'assises: Entretiens avec François Staechele [et al]』(Collection Logiques juridiques), 1996, Paris
・Association française pour l'histoire de la justice 編 『La Cour d'assises : bilan d'un héritage démocratique』(Collection Histoire de la Justice 13), 2001, Paris

II. ウェブサイト

・最高裁判所サイト
・電子版『LeFigaro』 www.lefigaro.fr Ilan Halimi事件関連記事
・電子版『Le Nouvel Observateur』 permanent.nouvelobs.com 同上
・電子版『Der Spiegel』 www.spiegel.de 同上
・フランス共和国司法省サイトwww.justice.gouv.fr/
* 重罪院については、http://www.justice.gouv.fr/index.php?rubrique=10031&ssrubrique=10033&article=12027 に詳しい説明があります。
・ドイツ連邦共和国連邦司法省サイトwww.bmj.bund.de/
* 『Übersicht über den Gerichtsaufbau in der Bundesrepublik Deutschland』 (図表 ドイツの刑事裁判制度)
- http://www.bmj.bund.de/files/5ab9326da171af40c9c8a358cac1a8d1
/978/Schaubild%20Gerichtsaufbau%20-%20deutsch.pdf
- http://www.bmj.bund.de/files/-/976/Schaubild%20Gerichtsaufbau%20-%20englisch.pdf (同英語版)- http://www.bmj.bund.de/files/-/979/Schaubild%20Gerichtsaufbau%20-%20franz%C3%B6sisch.pdf (同フランス語版)
* Jörg-Martin Jehle 『Strafrechtspflege
in Deutschland』(ドイツの刑事裁判制度), 2009(第5版)
- http://www.bmj.bund.de/media/archive/945.pdf#search=%22schwurgericht%22
- http://www.bmj.bund.de/media/archive/960.pdf#search=%22sch%C3%B6ffengericht%22 (同英語版)