Sunday 31 March 2013

スイス,グラウビュンデン州の建築写真展

スイスの州のうち最大の面積を誇るグラウビュンデン州.その150年にわたる建築史を彩るさまざまな建築物の写真展が,現在,首都クールの州立美術館で開催されています.(2013年5月12日迄)

そのうち数点が,swissinfo.chのサイトに掲載されていました.

グラウビュンデン州立美術館のサイトへのアクセスはこちらから.

Saturday 30 March 2013

SLが牽引したオリエント急行2008

ドイツ南西放送の鉄道番組"Mit dem Zug durch..."の制作者Alexander Schweitzerによるフォト・リポルタージュ.2008年,復活した往年の豪華列車がSLに牽引され,6カ国を走り抜けました.フランス語版へのアクセスはこちらから,ドイツ語版へはこちらからどうぞ.

国境なきリポーターによる表現の自由度ランキングを見て思った事

まず,この団体の審査の結果を示した地図を見ると,『良好」("Good situation")というランクに含まれているのは,北中南米ではカナダ,ジャマイカ,コスタ・リカ,ヨーロッパではアンドラ,アイスランド,アイルランド,オランダ,ベルギー,リュクセンブルグ,ドイツ,スイス,リヒテンシュタイン,オーストリア,チェコ,北欧4国とエストニア,アフリカではナミビア*1),オセアニアでは,ニュー・ジーランドの上位21カ国です.

なお,我が国はというと,北東アジアの自由主義国の韓国(50位)や台湾(47位)より低いランクに置かれてはいるものの53位で,それなりに健闘しているように見えますが,前回の22位から31位も落ちています. これは,解説を読むと判るように,福島に於ける核災害についての情報開示の不徹底(関連情報の入手を希望しても,ほとんど不可能)が大きく響いたようです.

そして,最近接したニュースから特に気になったのは,第148位のロシアと179位(最下位)のエリトリアでした.

ロシアについては, 近年,同性愛者などのセクシャル・マイノリティーと呼ばれる人々を取り囲む環境が以前に増して厳しくなってきたといいます.元々,ロシアでは,伝統的に同性愛を精神病のひとつと考える風潮が支配的だったのですが,2012年,サンクト・ペテルスブルグの統一ロシアに所属する市議が提出した,未成年者に対して同性愛などのプロパガンダを行う事を禁止した条例案が可決された結果,同市においての同性愛者によるデモ行進やレインボーフラッグの掲示,さらに公衆の面前でのキスなどは一切禁止され,違反者には最高1000ユーロの罰金が科せられることになりました.事実上,公衆が行き交ったり集う場所で「同性愛」などという言葉を発したとたん,逮捕されるという事態も起こり得る状況のようです.こうした条例の制定が,やがてロシア全土に拡大してゆくことが懸念されています.ところで,この条例の施行後,アメリカ人シンガーのマドンナによるコンサートが,このロシアで最も西欧的と言われる都市で開催され,彼女は,ステージの上から,コンサートに集った多くのセクシャル・マイノリティーに所属する人々に対し,彼らにも他の市民と同等の権利が認められるべきと熱弁をふるったところ,直ちに訴えられ,彼女に830万ユーロもの罰金が科せられそうになりましたが,裁判所は最終的にはこの訴えをしりぞけたそうです.いずれにせよ,こうした状況は,今の大統領が支持を集める国では,なんとなく合点がゆくような気もします.

ところで,同性愛というと,イスラム圏では宗教法により公には禁止されていますが,古来,男性同士の恋愛の伝統は存在しています.最近,パリに,同性愛などのセクシャル・マイノリティーのイスラム教徒たちが集う事のできるモスク(といっても場所は秘密にされていますが)が開設されました.主催者は,"L'Association des Musulmans Progressistes de France"という団体です.*2)

次は,エリトリアについてです.鉄道好きとしては,紅海に面した港湾都市マッサワと内陸部の首都アスマラを結ぶ950mmゲージの路線の雄大な車窓風景に限りない憧れを抱いていますが,30年にもおよぶエチオピアからの独立戦争の結果,独立国に復帰したこの国には,事実上表現の自由など存在しないといわれています.現代アフリカ史においてもっとも長い戦争といわれる独立戦争も,元はと言えば,戦後,エチオピアを西側に取り込んでおくために,そのエリトリア併合をアメリカが黙認したことに端を発したものでした.さらに,歴史を遡れば,エリトリアは,東アフリカにおいて大ローマ帝国の再建を目論むムッソリーニによって1890年に征服されています.そして,戦後は,前述したようにエチオピアに併合され,言ってみれば,大国の思惑に翻弄され続けた小国です.アフリカで最も貧しい国のひとつと言われ,平均寿命も55歳にかろうじて届く程度.それでも,独立国家としての尊厳をかたくなまでに守り(大国に国土を踏みにじられ続けて来たわけですから十分うなづけますが),外国からの援助は一切拒否しつづけています.首都アスマラのメデベル市場(Medeber market)では,いたるところで廃棄物から再利用可能なパーツを取り出して加工し,新しい製品に組み直す光景が見られ,さながら脱経済成長社会の手本といったところです.表現の自由がないというのは,もちろん国民全員が望んでいることとは思いませんが,独裁的との批判を受ける大統領が,表現の自由を解禁したとたん,再び大国の餌食になるのではないかという恐れを多かれ少なかれ持っていたとしても,この国の歴史を知ると,あながち無理もないのではないかと思えてしまいます.*3)



               
*1) 一生のうちに,いつかは乗ってみたい砂漠急行("Desert Express")が走っています.
*2) 以上の内容は,2013年3月16日にARTEで放送されたYouropeの内容に基づいています.
*3) エリトリアについては,2013年3月19日にARTEで放送された"Un billet de train pour l'Érythrée"に基づいています.(2008年,ドイツ南西放送局制作)

Thursday 28 March 2013

イラク - フセイン失脚から10年

イラク戦争から今日までのさまざまなドキュメンタリー映像が,ARTE/Reportageより提供されています.英語版ホームページへはこちらからどうぞ.フランス語版ドイツ語版も開設されています.5月1日迄更新されるそうです.

その中には,以前ご紹介したアル・アイマ橋のエピソードや,戦争で片腕を失ったため,希望していたカメラマンへの道はあきらめざるを得なかった若者が,画家として成功をおさめた話"Perseverance"等が含まれています.

ふと,現在のイラクにおいて表現の自由(報道の自由)は十分に確保されているのか気になり,国境なきリポーターによる最新のランキングを見たところ,その満足度は,179カ国中150位でした.

Tuesday 26 March 2013

航空公園で展示中の零戦を観て思い出した事

先日,所沢の航空公園で展示されている零戦52型を観る機会がありました.当時の日本の航空機技術の粋を集めた世界的名機ですが,コックピットの内部を眺めながら,敗戦が迫っていた頃,この座席に座って多くの若者が体当たり攻撃を行うために出撃し,太平洋でその尊い命を失ったのだと少々感慨にふけってしまいました.

零戦については,特にその設計開発過程において数多くの印象深いエピソードがありますが,ふと,以前読んだ『海軍技術戦記』*1)のある箇所が思い出されました.以下はその引用ですが,直接的にはロケット型体当たり攻撃用兵器「桜花」の設計開発過程について述べられている箇所の一部です.

それまで、戦闘の過程で結果的に体当りに至った例は少なくなかったが、はじめから体当りを前提とした攻撃は、あまりにも悲愴であり、あまりにも異常であった。この種の攻撃をのちに「特別攻撃」、略して「特攻」と呼びならわすようになるが、同じ呼称が、すでに真珠湾、シドニー港、ディエゴスワレス港を攻撃した″甲標的″にも用いられている。しかし、″甲標的″の場合は、搭載母艦に帰投できるように設計してあるので、「決死」の特攻であることは間違いないにしても、けっして「必死」の特攻ではなかった。特攻という言業が「決死」から「必死」へと転換しはじめたのは、南東方面の敗色が濃くなった昭和一八年中期ごろといわれる。ことに第一線部隊のあいだでは、このころから、敵の圧倒的な兵力に対抗するのは「必死の特攻」しかない、とする考えがめだってきた。こうした発想は、だいたい三つの論拠をもっている。
 第一に、特攻用の兵器(特攻兵器)は比較的かんたんに多量生産できることである。つまり、目標に突進することを主目的とするから、それ以外の性能にかかずらう必要はないし、また、一種の消耗品だから、材料も節約できるからである。
 第二に、特攻兵器の搭乗員は、練度の低いものでも勤まることである。つまり、日標に突進する訓練だけにしぼって、敵の攻撃を回避するとか、帰投するとかといった訓練を省略できるからである。
 第三に、日本の軍隊組織のなかでは、もともと、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の葉隠れ思想や、「死は鴻毛より軽し」の軍人勅諭思想がひろく賞揚されていたことである。つまり、アッツ島いらいの玉砕思想が特攻思想へと移行して、戦闘の結果であった死が戦闘の目的にすりかわっても、ごく自然のことと受けとめられ、おもてだって批判する素地はまったくなかったのである。
(上掲書pp205f)*2)
兵器として見た場合にも、特攻兵器には致命的欠陥がいくつかある。
 第一に、いうまでもないことだが、搭乗員の生命が一回ごとにかならず消耗されてしまうという事実である。特攻隊員の訓練は簡易化できるといっても、その生命を代償とする以上、戦力の蓄積もできないし、再生産もできない。けっきょくは、なしくずしの先細りにならざるを得ない。
 第二に、搭乗員がかならず未帰還になるのだから、戦果の報告をうけられないということである「じじつ、特攻作戦が開始されてからというもの、戦果の判断に「見込み」の要素が多くなり、戦訓としてまとめることがひじょうにむずかしくなったのである。
 第三に、とくに空中特攻兵器が、水上、水中特攻兵器と違って、敵艦船の水上部にしか被害を与えられないということである。水上部をいくら破壊しても、小型船ならいざしらず、撃沈の戦果をあげるわけにはいかない。戦艦、重巡洋艦、航空母艦などの大艦を目標とするかぎり、空中特攻はもっとも拙劣な攻撃法といわなければならない。水線部をねらうとすれば、かなりの練度を必要とする。水上部攻撃でも、誘爆などを期待できるかもしれないが、これはあくまで二次的な効果であって、確実性にとぼしい。主務設計者だった三木氏は、当時の心境を回顧して、「技術者としてはこのような必死の兵器を造るのはむしろ技術への冒瀆であるとさえ感じていたが、わが国の総合国力と急速に下り坂にある戦勢を考え合わせるとき、最後にはある部分はこれで行かざるを得まい、部隊の要望するものを要望するときに間に合わせなければ……と、その火と燃ゆる熱に動かされた」と書いている(『桜花設計記』航空ファン掲載)
(上掲書pp207f)

零戦の話題から離れてしまいましたが,内藤氏がその過程を語る桜花の開発は,世界的に誇れる技術力を有するチームを擁していても,彼らの技術力を目的合理性に従って最大限有効に用いることができる戦略が立てられない,そうした非合理的な用兵側の姿勢が,結果的に技術を支配してしまった悲劇といえるでしょう.

さらに,個人的には,こうした悲惨な体当たり攻撃や,さらに敗戦間際の戦艦大和の沖縄出撃など,内藤氏の言葉を使えば「必死」の兵法は,その本来の意図に照らした場合,極めて非合理といわざるを得ませんが,日本人にとっての一種の「儀式」と考えられると思っています.さらに,誤解を恐れずに言えば,オランダの歴史学者ホイジンガが,その著書『ホモ・ルーデンス』の中で使っている「あそび」という言葉によって定義される行動の範疇に含まれると.なお,ここで言う「あそび」は,必ずしも幼稚という言葉で形容できるものではありません.綿密に築き上げられた宗教儀式なども,ホイジンガの定義に従えば,一種の「あそび」なのです.そして,彼によると,「あそび」にはふたつの要素が必要です.「場」と「ルール」です.つまり,現実の世界の中にあっても,他から切り離された「場」とそこでのみ通用する「ルール」です.*3) 身近な例で言えば,私たちの国のさまざまな「祭り」を挙げることができます.祭りの間,それが展開する空間は日常から切り離された「場」となり,日常生活におけるものとは異なる「ルール」に従ってそれは営まれます.ホイジンガは,また,秩序を守った戦争もスポーツ競技と同様に「あそび」のひとつと言っています.戦争における秩序とは,互いに人間のである事を認め,尊重し合い,公平なルールに従って行うことです.しかし,近代の総力戦では,それらの秩序が忘れ去られてしまったとも言っています.*4)

戦争という「あそび」は,第二次世界大戦において,とりわけ日本とアメリカに関する限り,その文化的な性質を失い,極めて残念な方向へと進展していってしまいました.つまり,この二国において,戦争は,最早「あそび」という言葉で形容できない方向へと暴走してしまったのです.日本軍は,初期の段階で中国大陸における無差別爆撃を行い*5),アメリカも後に日本に対し同様のことを行いました.さらに,後者は,どう考えても戦時国際法違反である非人道的行為の極みといえる核爆弾投下を,多くの人口を抱える日本の二都市に対し行いました.このように,戦時国際法という共通のルールに従うことを止め,互いに独自のルールに従って戦うようになってしまったのです.通常のスポーツ競技では考えられない事態です.つまり,今や,戦争という事象が展開する空間は,引き続き共通であったとしても,そこに適用されるルールは,当事者同士に共通のものではなくなってしまったのです.敗戦の色が濃くなりつつあった日本は,本来相手の戦力を如何に効率よく破壊するかということに主眼を置くべき戦闘行為に,まるで宗教祭祀のようなルールを適用するようになりました.*6) つまり,超自然的な力,あるいは意思からの恩恵を受けるための行為である人身御供のような,自らの,あるいは犠牲となる個人が所属する集団の能動的意思に基づく死自体が目的となるような攻撃手段を採用するに至ったのです.あるいは,如何に《美しく》死ぬかという点を最重要視するようになったと言ったほうがより適切かも知れません.こうした姿勢の根底には,情誼的に自然を捉え,それを構成するひとつの要素として自らの生き方を他の生物のそれになぞらえる独特の思考が潜んでいます.また,戦争を指導する立場にあった人々が誤りを犯した自らの責任を国民に,特に兵士たちに気づかせないために用いたレトリックだったとも言えるかも知れません.一方,アメリカは,自国の戦闘員の人命保護と同時に,戦後の世界における軍事的政治的優位性の確保という視点からつくられた独自のルールに基づき,実質的に,日本人全体をあたかも邪悪な異生物のように看做したような形での攻撃を行うようになっていったのでした.つまり,日本では自国の若者たちを兵器の一部として扱い,また,アメリカは対戦国の国民を人間以外の生き物と看做すといったように,各当事国は,ある人間の集団を自らが所属する人間の範疇から外すという極めて非文明的ルールを創り出し,それに従ってしまったのです.「それが戦争というものなのだから仕方がない」と言う向きもおられると思います.「であるからこそ,戦争は避けなければならないのだ」とも.確かに,それも事実でしょう.ただ,一つ気になるのは,ある意味で日本もアメリカも,このようなそれぞれの非文明的ルールに現代においても従い続けているのではないかと感じられることです.日本社会においては,国家や企業の若者に対する姿勢に,また,アメリカについては,特に第二次世界大戦末から今日に至るまでの,世界各地における軍事介入において.




*1) 内藤初穂(元海軍技術大尉)著 『海軍技術戦記』,昭和51年,図書出版社
*2) 「葉隠」については,対米英戦争終結において決定的な役割を果たしたといわれる米内光政提督の興味深いエピソードがあります.彼は,昭和11年の2.26事件発生当時,横須賀鎮守府司令官の職にありましたが,そのころ,ある大佐から「葉隠」に関する所感を書いたので部下に配布したいと,当時の同鎮守府参謀長井上成美少将にその原稿をわたしました.井上参謀長は,米内長官に「所轄長かぎり参考として閲読させるならよろしいと思います」という意見を付して廻したところ,それを読んだ長官は,「葉隠は自殺奨励だよ.危険だからいけない」と返してよこしたそうです.(cf. 阿川弘之『米内光政 上巻』,昭和53年,新潮社,p163)

また,航空特攻は,昭和19年10月フィリピンで行われたのが最初で,沖縄戦を境に海軍全般の戦法になっていったようですが,記録によると,当時,海軍次官だった井上成美中将は,特攻について「これはもはや,兵術というものとちがう」と語り,特攻作戦について,最終決済を与える立場にあり免責無関係ではない米内海相に「このままだと,こうした悲惨なことが際限なくつづきます.大臣,手ぬるい.一日も早く」と叱りつけるような調子でつめよる様子を秘書官たちは見たそうです. (cf. 阿川弘之『米内光政 下巻』,昭和53年,新潮社,pp141f)
*3) ホイジンガ 著,高橋英夫 訳,『ホモ・ルーデンス』(中公文庫),昭和63年(第15版),中央公論社, p276
*4) ibid., pp190ff
*5) もし,日本人が,世界から良識ある近代的文明人と認められたいのであれば,歴史を通じて,特に近代において,アジアの隣国に対し,特に一般市民に対して行った一連の戦時国際法違反の非人道的行為を自ら客観的な手段を用いて徹底的に究明する必要があると思っています.そして,それを国民共通の公の認識とできたとき,初めて「普通の国」と自称することができるかもしれません.戦争の恐ろしさを伝えるという行為は,そうした前提がなければ全く意味をなさないでしょうし,日本人がしきりに口にする「歴史の風化」という現象も,こうした分野における努力が殆どなされていないことがその根底にあると思います.加えていうならば,ある人々は,「武士道」と言う言葉を好むようですが,私の勝手な解釈では,こうした自らが犯した過ちを潔く認めるという姿勢も「武士道」の精神の中に含まれるものだと思っています.(「武士道」という言葉自体,慶長年間から使われ始めたもので,極めて政治的な意図の下につくられたもののようですが.)
*6) 加えて,旧日本(海)軍の作戦や戦闘行動を眺めるとき,何故か徹底性に欠けていたという指摘が,真珠湾攻撃総隊長淵田美津雄氏(当時中佐)によってなされています.淵田氏は,昭和19年に実施され,結果的に失敗した捷一号作戦終了後の所感として以下の記録を残しています.捷一号作戦とは,もはや敵艦隊と互角に戦えるだけの戦力のない艦艇群(いわゆる栗田艦隊)を使い,レイテ湾内の敵輸送船団を撃滅させるというものでした.その際,当該の輸送船団の護衛に当たる空母17隻によって構成される敵機動艦隊(ハルゼー機動艦隊)を,搭載する飛行機さえほとんど無い小沢機動艦隊を囮として誘い出し,攻撃対象から離れさせておくという戦術がとられたのです.しかし,栗田艦隊は,このデコイ作戦がかろうじて成功したにも拘らず,たまたま別の第七艦隊(キンケイド艦隊)の護衛空母群を発見し,それとの戦闘を開始したため,本来の任務であるレイテ湾突入の機を逃してしまい,壊滅的大打撃を被った結果,連合艦隊の組織は事実上全滅したのでした.そして,その後,体当たり戦法が採用されていったのです.連合艦隊司令部が,当時の自らの置かれた状況を合理的に判断し,立案した作戦であったにも拘らず,今もって,従前のような戦艦や重巡洋艦による艦隊同士の決戦に挑む事こそ自らの使命であるという非合理な時代錯誤的意識に囚われた現場指揮官によって招かれた結末でした.
大東亜戦争開戦以来、私のみているところ、日本の提督たちは、勝負度胸に乏しい。言うなれば、しつこさがないのである。南雲提督は真珠湾で反覆攻撃をやらなかったし、三川提督は、ソロモンの夜戦で、もうひとつ突きこめば敵を全滅出来るのに、さっさと引き上げている始末であった。
 爾来、太平洋の各戦域において、日本の提督たちには、もうひとつという勝負度胸がないのであった。そして、こんどは、レイテ沖海戦における栗田提督である。私は、歯がゆくって仕方がない。(cf. 中田整一 編『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』,2007年,講談社,p233)
なお,合理性に関連して,思い出した言葉があります.昭和二十年四月,戦艦大和の沖縄突入作戦に第四(副砲)分隊長兼副砲射撃指揮官として参加した臼淵磐大尉が,出撃後艦上で語ったという次の言葉です.
 「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩といふことを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れてゐた。
 敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救はれるか。今目覚めずしていつ救はれるか。
 俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。まさに本望ぢゃないか。」(cf. 「臼淵大尉の場合」in 吉田満『鎮魂戦艦大和』,昭和53年,講談社文庫,p32)
21歳で大和と運命を共にした臼淵大尉が残した言葉の中で,彼が使った「進歩」という言葉の意味について著者の吉田氏自身,その解釈を試みていますが,僭越ながら,大尉によって使われた「進歩」という言葉は,今日,私たちが使う「合理性」という言葉とほぼ同じ意味を持っていたのではないかと思っています.あるいは,少なくとも彼が言う「進歩」とは,合理性を前提とするものではなかったかと.

こうした合理性と非合理性の混在が,第二次世界大戦における日本の辿った方向に軽視出来ない影響を及ぼしたことは確かであると思いますが,現代の私たちも,果たして合理性に基づいた共通の市民意識というものを持っているかどうか,少々心もとないところがあるように思えてならないのです.

Monday 25 March 2013

ARTEの子供向け教養番組X:enius

環境,健康,科学,歴史など,私たち現代人が知っておくとためになるさまざまなテーマが,現場取材を中心にとてもわかり易くまとめられていて,ご家族で楽しめる番組です.なお,ドイツで視聴する場合には問題はありませんが,日本では,放送権の制限によりZDFが制作したもの中にはインターネット上での視聴(ARTE+7)ができないものがあるようです.ドイツ語版X:eniusへのアクセスはこちらから.

現地のARTEでのテレビ放送は,月曜日から金曜日迄の毎日午前8時から.一回の放送時間は26分です.現地に赴任された後,お父様はすでに職場に向かわれた後かも知れませんが,お宅に居らっしゃるお母様とお子様たちが,ドイツ語の音に慣れるために,まずは字幕をONにして視聴されてみてはいかがでしょうか.インターネット上に配信されるARTE+7では,放送終了後一週間視聴できるので,ご家族揃って楽しめますが,字幕は提供されていないようです.

鉄道ファンのためのドイツ語ワンポイントレッスン(2)

周囲からは,「汽車に乗ってさえいれば幸せなのだから,ほ〜んと楽な人生よね」などと皮肉まじりに言われたりいたしますが,それでも,自分が乗る列車がどんな機関車によって牽引されるのか気になるので,予め乗車券を購入する場合は,できるだけ牽引機を確認してから購入するようにしています.ただ,すべての保存鉄道が時刻表などに牽引機を明記しているとは限りません.そんなとき,自分が乗る列車をどんな機関車が牽引するのか,係の人に訊いてみましょう.「牽引」を意味する"ziehen",あるいは,「(牽引するために当該列車に)連結する」という意味を持つ"spannen"などを用いることも可能でしょうが,ここでは,きわめて単純に,

"Mit welcher Lok fährt unser Zug?"*1)

という表現を使ってみましょう.英語に直訳すると,"With which loc does our train run?"となり,少々不自然な響きを持つ文となってしまいますが,ドイツ語では,むしろ自然に聞こえるような気がします.

もちろん,

"Welche Lok zieht unseren Zug?"*2)

も可能です. 英語に訳すと"Which loc pulls our train?"となる表現です.

すると,係の方は,"Mit (einer) 01.",あるは,"Mit (einer) 52."などと,機関車の形式名を教えてくれるでしょう.なかには,親切に形式番号+製造番号まで教えてくれる方もいますが,例えば,貨物用機"41 1144"などが牽引する場合,早口で発音されると聴き取りずらいので,「もういちどゆっくりお願いします.」といった表現を使ってみましょう.*3)

"Nochmals langsam, bitte!" (="Once more slowly, please")

それでも聴き取れない場合は,笑顔で"Danke schön!"と言ってその方の前から去りましょう.(聴き取れた場合も同様ですが.)





*1) 前置詞の"mit"は三格支配のため,疑問代名詞"welcher"は,"Lokomotive"(女性,単数)の前に置かれた場合,一格と同様の形.主語である"Zug"(男性,単数)の前に置かれた人称代名詞"unser"は,一格です.もちろん,単純に定冠詞をつけて"der Zug"でもOK.
*2) ここでは,"Lokomotive"が主語(一格)のため,女性単数形一格の"welche"となり,"Zug"は,目的語(四格)のため,その前の人称代名詞は一人称四格"unseren"となります.定冠詞をつける場合は,"den Zug".
*3) 通常,形式名と製造番号は,二桁区切りで読まれます.41 1144の場合,41-11-44と言った具合です.また,EDV番号(電算処理番号)導入後の西ドイツ機では,形式番号,製造番号ともに三桁ですが(012 077-4のように.なお,末尾の4はセルフチェックディジット),その場合は,それぞれ最初の一桁,残りの二桁の順です.つまり0-12-0-77というように読みます.(セルフチェックディジットは通常読まれません.)

Sunday 24 March 2013

イタリア国鉄741形SL120号機のフランコ・クロスティ式ボイラーとは

まだ,実物にお目にかかった事がないため,手元に画像がありません.というわけで,まずは,こちらへどうぞ.また,イタリア語のみのようですが,741形蒸気機関車120号機のページもWikipediaにありましたので,そちらへのアクセスはこちらから.

上掲のリンク先,Wikipediaのページに当該機の写真が掲載されているので,一目見てその特徴がおわかりと思いますが,このマシンの煙突は,見慣れた場所についていません.

実は,この風変わりなSLの特徴は,何よりそのボイラーにあります.フランコ・クロスティ式ボイラーというのですが,二つのボイラーを垂直方向に積み重ねた構造になっていて,下の小さなほうは,その上に位置するメインボイラーに供給される水を予め加熱するためのもの,つまり,給水加熱器*1)と呼ばれている装置です.

給水加熱器というと,私たちになじみのある国鉄の機関車で,すぐに頭に浮かぶのはD51やC58など,それを煙室の上,煙突の前方にボイラーと直角方向に置いた形式だと思います.また,旅客用機関車のC57やC62などでは,ボイラーの前,エプロン部分に置かれています.

ところで,ドイツの機関車においても,D51やC58のような配置がされている場合が多いのです.例えば,下の画像に写っているのは01 10と03 10ですが,両方とも三気筒パシフィック(2C1)の急行旅客用機です.赤い矢印で示した装置が給水加熱器(Oberflächenvorwärmer der Bauart Knorr)ですが,前者の日本の二形式に比べて違いがあるとすると,これらの画像から判るように,当該装置の上のレベルがほぼ煙室のそれと同じレベル,あるいは若干低くなるように,つまりD51やC58などにおいてよりも,ボイラーに対してより深い位置に,はめ込まれるような形で配置されていることです.実は,こうした配置は,ドイツ帝国鉄道(DRG)時代に開発された統一規格形,あるいは標準型(Einheitslokomotive)と呼ばれる形式すべてにおいて採用されたものだったのです.*2)

ハイルブロンの鉄道博物館で屋外展示されているブルーレディこと01 1102.メインロッドが外され,復活は期待できそうにない.

03 1010は,ウィッテ式除煙板を除き,煙室扉の中央の円形開閉ハンドルや完全に覆われたエプロン部など,ドイツ帝国鉄道時代に開発されたEinheitslokとしての形状をとどめている数少ない動態保存機の一両.(旧東独国鉄所属機.一旦は重油燃焼式に改造されたが,その際のEDV番号は,東独国鉄の規則に従い,製造番号の最初の数が重油燃焼式を表す0に変更されたため,03 0010.後に再び石炭燃焼式に戻された.現在のナンバープレートは,セルフチェックディジットが付されていないので,オリジナル,つまりEDV番号以前のものに戻されたらしい.)HalleのDB博物館所蔵

フランコ・クロスティ式ボイラーとは,こうした給水加熱器のやたらにサイズを大きくしたものが,メインボイラーの直下に,それと平行に設置されている構造を持つボイラーなのです.

なお,フランコ・クロスティー式ボイラーを備えた機関車は燃料や水の消費が一般の形式に比べて少なく,エネルギー効率が良いといわれますが,速度は比較的遅く,例えば,紹介した741 120の最高時速は60〜65kmだそうです.イタリアの蒸機の花形といわれる685形(4気筒,最高速度120km)などに比べると,その点で少し劣りますが,その特徴ある姿を一度この目で観てみたいマシンです.現在,741 120は,Associazione Toscana Treni Storici Italvaporeにより動態保存されていて,時折運行されるイベントトレインの牽引に活躍しているそうです.(下の"Eisen Bahnromantik"で17:50ごろから本機の走行シーンを視聴できます.)



ところで,ドイツの機関車にもフランコ・クロスティー式ボイラーを備えたものがあったことをお伝えしておきます.まず,貨物用機の42形の二両,9000号機と9001号機です.*3) 元はヘンシェルが戦後に製造した40両の52形のうちの二両でした.googleなどの画像検索で40 9000というキーワードで検索するとその独特の形状の正面を見ることができます.

そして,50形の1954年,1958年,1959年に改良された31機で,改良後は50 4001から4031のナンバーが与えられ,50 40番台と呼ばれているようです.*4) こちらも画像検索で,Baureihe 50 40, Baureihe 50 Franco-Crosti-Rauchgasvorwärmer(あるいは,単にBaureihe 50 Franco-Crosti)といったキーワードで検索すると当該機の写真が表示されます.

フランコ・クロスティー式ボイラは,イタリアとドイツを除き,ヨーロッパの他の国ではあまり採用されず,他にはスペイン国鉄(RENFE)の一両,英国国鉄(BR)の10両が知られている程度です.*5)




*1) Feedwater heater (英), der Vorwärmer (独)
*2)
Die Dampflokomotive - Technik und Funktion, Teil 1, Der Kessel und die Geschichte der Damplokomotive, Eisenbahn Journal, 1994, pp49f
*3) 042形という形式も存在していますが,万能ミカド機の41形の重油燃焼式に改造したヴァージョンに与えられたEDV番号であり,ドイツ帝国鉄道の形式42形とは異なります.(EDV番号についてはこちらのポストをご参照ください.)
*4) "BAUREIHE 50 Erfolgreichste Einheitslok" in LOK Magazin, Oktober 2012, p53
*5) Idem, Die Dampflokomotive - Technik und Funktion, Teil 4, Sonderbauarten deutscher Dampflokomotiven, Eisenbahn Journal, 2003, pp32f

鉄道ファンのためのドイツ語ワンポイントレッスン(1)

ドイツ語では,機関車などが走行可能な状態で保存されている場合,つまり動態保存されている場合,その車両は,"betriebsfähig"であるといいます.英語の"operational"と同じ意味の,やはり形容詞です.*1)

もともと,「運転」,「稼働」といった意味を持つ"Betrieb"は男性名詞で,それを,ベースとなる形容詞の"fähig"(="able", "capable"...)に修飾語として結びつけて造られた言葉ですが,その際,単語を連結するときの基本的ルールに従って,所有格(二格)を表す"s"がつけられています.

特に,ご家族と一緒にドイツ語圏に赴任された場合,時にはご家族で鉄道博物館などを訪れる機会もおありかも知れません.そのとき,もし,機関庫などに展示されていて,手入れが行き届いている機関車を見つけた場合は,職員に,次のように訊いてみてください.

"Ist diese Lok betriebsfähig?" *2)(="Is this loc operational?")

質問された職員からは,次のような答えが返ってくるでしょう.

"Ja, natürlich!" (="Yes, of course!")

あるいは,

"Leider nichit." (="Unfortunately not.")

もちろん,質問する前に,"Herr, bitte! Ich habe eine Frage." (="Sir, I have a question.")などと言うことをお忘れなく.

ところで,"Betrieb"という言葉は,当然のことながら,機関車などの動力車両関連の言葉で良くおめにかかります.例えば,日本の(旧国鉄の)機関区,あるいは運転所に相当するものが,(das) "Bahnbetriebswerk".("Bahn"+"Betrieb"+"Werk")*3) (一般には,略されて"BW"と表記されます.) 


               
*1) 英語の"operation"も,ばらせば"operation"+"al"なので,構造的には似ています.
*2) 機関車"Lokomotive"は,女性名詞なので,「この」という指示形容詞は"diese"(主格,女性,単数)になります. (そういえば,確か,英語でも機関車を代名詞で置き換えるとき,女性の代名詞,つまり"she"を使いますね.もちろん,フランス語でも女性.やはり機関車は,レディとして大切に扱わなければならないということのようです.)
*3) 名詞を三つつなげたもの.Bahnは女性名詞で,且つ単音節のため,他の単語の前に連結される場合,規則通りsは表記されません. もっとも,"Bahnbetriebswerk"という言葉そのものを大きな二つの固まりと考えることも可能です.つまり,"Bahnbetrieb" + "Werk"というようにです.この場合も,複数の単語が連結されて出来た単語を,別の単語の修飾語として,その前に連結するときの規則にすなおに従い,すでに連結されている"Bahnbetrieb"にsをつけて"Werk"に連結したと考えることもできるかもしれません.

スンニ派とシーア派の和解の象徴,バグダットのアル・アイマ橋

3月16日に放送されたARTE Reportageで,サダム・フセインの失脚から10年を経たイラクの現状が報告されていました.

その中で,特に印象に残ったのが,首都バグダットの,スンニ派住民が暮らすAdhamiya地区とシーア派住民の暮らすKadhimiya地区を結んでいるアル・アイマ橋で起こったある事件の話でした.

(詳しくは,ARTEの英文のサイトThe bridge of reconciliationをご覧ください.)

自らの息子をアメリカ軍に殺され,また,従兄弟とその子供がスンニ派とシーア派の対立により命を失ったという,地元のある名望家によって語られたその内容は,凡そ次のとおりです.

"侵攻して来たアメリカ軍による住民の無差別殺戮が始まってから,私たちは,毎日多くの遺体を埋葬しなければなりませんでした.そのため,この橋のそばに墓地が造られたのです.

(テロップ)アメリカ軍による侵攻は,スンニ派とシーア派間の緊張を再び高め,2006年から2008年の間の内戦は,毎日100名の死者を出した.

スンニ派とシーア派は,互いに相手の名前でその所属教派を確かめ,殺し合ったのです.例えば,Omarは,スンニ派の名前です.シーア派の地区で自分の名前がOmarであると明かしたとたん,殺されるという事が起きました.同様に,Ali,Husseinというのは,シーア派の名前です.これらの名前の人は,逆にスンニ派の地区で殺害されました.

(テロップ)2005年8月31日,アル・アイマ橋において,当時橋の上にいた1000人ものシーア派の巡礼者たちが,爆弾が爆発するという誤った情報により混乱し,逃げまどう人々の下敷きとなったり,川に飛び込んだりして命を落とした.しかし,この悲劇から一つのシンボルが生まれた.彼の名は,Othman.スンニ派の信者で水泳のチャンピオンだった彼は,川に飛び込み,40人ものシーア派の巡礼者を救った.やがて,力が尽き果て,溺れて自らも命を落とした.

(Othmanさんの自宅で,彼の父親のそばに立って名望家は話を続ける.)

彼(Othmanさん)の行為は,宗派の違いに影響されることはありませんでした.そして,宗派間の対立の終結を促したのです.

(Othmanさんの父親)息子は,二日後に試合を控えていました.しかし,彼らを助けようと決心したのです.そして,亡くなりました.殉教者です.

(テロップ)アル・アイマ橋は,2005年に一旦閉鎖されたが,2010年に再び開放された.今日では,再び昔のように,スンニ派とシーア派の住民たちが橋の上を行き交っている."

バスラ地方だけで,アルジェリアの全石油埋蔵量の2倍もの石油埋蔵量を有すると言われ,多くの外国資本の企業が採掘を行い,多額の利益を挙げながらも,上水道を始め,多くの社会基盤整備が未だに進まないのイラクの現状を見せられ,結局,日本も参加したイラク戦争とは何だったのかという問いが頭に浮かんできました.少なくとも,結果的に宗派間の対立を激化させ,多くの死者を出した戦争に,侵攻した側に立って関与したという事実を,私たちは忘れるべきではないと思っています.

Saturday 23 March 2013

映画『3.11日常』,『フタバより遠く離れて』を観て

標記二本の映画*1)を観て,ふと,映画『ゴジラ』(1954年,東宝*2))の以下の場面を思い出しました.以前,芹沢博士からオキシジェン・デストロイヤーという,ゴジラを抹殺できるかもしれない手段の存在を知らされた恵美子*3)が,恋人の尾形と一緒に,ゴジラ対策のためにその使用を芹沢博士に依頼するため博士のもとを訪ねるシーンです.この研究の平和利用の目処が立つまでは秘密にしておくという約束を恵美子に破られた博士は,研究室でオキシジェン・デストロイヤーを破壊しようとします.そして,それを止めようとした尾形の額を誤って傷つけてしまいます.

正確に言えば,思い出したのは,特に太字で記した,いずれも芹沢博士の言葉です*4)

芹沢「尾形...許してくれ...
もし,これが使用できるなら,誰よりも先に俺が持って出たはずだ.
だが,今のままでは,恐るべき破壊兵器に過ぎないんだ.
わかってくれよ.な! 尾形!」
尾形「よくわかります.だが,今ゴジラを防がなければ,これから先一体どうなるでしょう.」
芹沢「尾形,もしも,一旦このオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後,
世界の為政者たちがだまって観ているはずがないんだ.
必ず,これを武器として使用するに決まっている.
原爆対原爆,水爆対水爆,その上さらにこの新しい恐怖の武器を人類の上に加えることは,科学者として,いや,一個の人間として許すわけにはいかない
そうだろ.」
尾形「では,この目の前の不幸はどうすればいいんです.
このまま放っておくより他,仕方はないんですか.
今,この不幸を救えるのは,芹沢さん! あなただけです!
たとえ,ここでゴジラを倒すために使用しても,あなたが絶対に公表しない限り,
破壊兵器として使用される恐れはないじゃありませんか.」
芹沢「 尾形,人間というものは弱いものだよ
一切の書類を焼いたとしても,俺の頭の中には残っている.
俺が死なない限り,どんなことで再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる.ああ...こんなものさえ造らなければ...」

(テレビに映し出される女性コーラスとゴジラの放射能火炎によって灰塵と化した街.そして,バックに流れる彼女たちに歌声)
〽平和(やすらぎ)よ 太陽(ひかり)よ とくかえれかし
いのちこめて いのるわれらの
このひとふしの あわれにめでて

太字の言葉について,「人間というものは弱いものだよ.」は,映画の中で映し出される,原子力発電所の誘致に踏み切らざるを得なかった地方の行政者の方々の姿を見て思い出したもの,また,「一個の人間として許すわけにはいかない」は,これまで核災害の恐ろしさについてほとんど無知だった,言わばニュクリアナイーブ(Nuclear naive)とでも称すべき私たち大半の日本人一人一人が持つべき意識なのではないかと強く感じた言葉です.「こんなものさえ造らなければ」 は,今回の悲惨な核災害を経験した多くの方々が感じていることではないでしょうか.

さらに詳しい感想は,またいつか,時間が許すときにお述べしたいと思っておりますが,例えば,この台詞の中で,「ゴジラ」を経済の衰退,過疎化などの,日本社会のいびつな構造によって引き起こされた郡部における諸問題に,そして,この恐ろしい怪物を倒すための最終兵器「オキシジェン・デストロイヤー」を,こうした問題を解決する切り札としての原子力発電施設に置き換えて読むこともできるのではないかと思のです.同様に,「世界の為政者たち」を日本の中央および地方の政治家,官僚,その他原子力発電事業から利益を得ているすべての機関,企業,団体などと読み替えることも.

そういえば,前述の目的のため,尾形に伴われて芹沢博士の元を訪れることを恵美子に決心させたのは,放射能を浴びて緊急救護所に収容された一人の女の子が,彼女を抱く恵美子の腕の中で「お母さん,お母さん」と言って泣きじゃくる様子を目の当たりにしたことでした.あの女の子の姿に,今,甲状腺の異常が多く検出されている,福島市や郡山市などに暮らす子供たちが,つい重なって見えてしまいます.

なお,映画の中では,ODおよびその設計図は,ゴジラが液化された後,芹沢博士の生命と共に消滅してしまいましたが,日本の原子力発電施設は依然として存在しています.事故を起こした福島第一原子力発電所の原子炉の廃炉の完了までにどの位の時が必要なのか,現実では未知数です.原子力発電所でも,一度も使用した事がなければ,建物を取り壊す予算が無い場合,ドイツのケルニーズ・ファミリーパークのように,施設全体をそのまま遊園地に転用することなども可能なのですが...


*1) 監督 船橋淳
*2) 原作 香山滋,脚本 村田武雄,脚本並びに監督 本田猪四郎,音楽 伊福部昭
*3) 芹沢博士の恩師ゴジラ対策の責任者山根博士の一人娘.
*4) 手元にある,ゴジラ全編のサウンドトラックを収録した2枚組LPレコードから当該部分を筆写しました.

Thursday 21 March 2013

美しい橋梁の国スイス

スイスは,面積は小さな国ですが,国土の大部分が山岳地帯に位置するという,その地理的形状のために多くの橋が存在しています.例えば,鉄道橋だけで8000を越えるそうです.

SRFの記事"Das kleine, feine Brückenland"で紹介された,スイスの橋のウェブアルバムへは,こちらからどうぞ.

Wednesday 20 March 2013

For getting more and accurate information about Fukushima nuclear disaster

If you read German or, in the least, English, I sincerely recommend you to visit German media's sites, rather than Japanese ones.

For instance:
There you can get quite more and accurate information with sound comments, analysis and, in many cases, illustrations rendering them easy to understand. In case you read only English, you can still read their articles in it by using translation tools provided by many sites.

Furthermore, the following site of IRSN, a French public agency for the nuclear protection and security, is also worth to be visited,  as it provides English pages and some useful reports upon Fukushima nuclear disaster.
And,  by any chance, if you read French, then I would suggest you to visit the site of ASN, also a French public agency for the nuclear security, which provides even a special site for the Fukushima related topics. (Anyway, you can always read them by translating in English, if interested.)
You can get some idea of the quite advanced monitoring system for the effects of nuclear power generation on the environment enforced by the French government, by giving a glance at the site of Réseau National de mesures de la radioactivité de l'environment(National Network of Environmental Radioactivity Monitoring), where you can get access interactively to the results of a large series of measurements carried on continuously at more than 90,000 points across the whole country, covering air, foods, water and environment, something similar to which may never be to expect in Japan.
Indeed, both obviously anxious to conceal every troublesome fact from the population so long as possible, the incapacity or the unwillingness of TEPCO*1) and the government of this allegedly civilized country to deliver on time the vital information in case of serious emergency, has been revealed again by their astonishingly shabby and irresponsible attitudes as to reporting the power failure which occurred recently at Fukushima 1st NPP.  This incident, stopping for many hours the cooling units of its spent nuclear fuel storage pools, capable of inducing further disasters, was communicated to the public only hours after its occurrence. I have even the clear feeling that now Japan has been put practically under an information control as to what is going on really in Fukushima, particularly in the contaminated regions. Needless to say that such an information control, which can hardly be enforced in any of the modernized countries, only benefits above all TEPCO, deputies, in most cases, those belonging to the ruling party, bureaucrats, academics, heavy industrial companies and all others profiting from the nuclear power industry of Japan, including of course their American counterparts.


*1) Tokyo Electric Power Company (The operator of Fukushima 1st nuclear power plant.)

Some personal suggestions upon 2 expressions frequently used in Japanese nowadays

このようなことを書くと,若い方から反発,あるいは無視されるかもしれませんが,自分自身への戒めと思って書き留めておこうと思います.

相当昔から,次の二つの表現が耳障りに響いて仕方がありません.
  •  「ちなみに」
  • 「させていただく」
もちろん,これらの表現は,私自身も使う事はあります.ただ,前者については,特にラジオ(準国営,民放を問わず)の若いアナウンサーやリポーターの方たちが使いすぎるように思えてなりません.例えば,「参考迄に」であるとか,「なお」,あるいは「ところで」と言った表現を用いても違和感がなく,むしろ,こうした表現の方が自然と感じられるような場面においても,彼らは,頑と思える程「ちなみに」を連発します.失礼ながら,単に語彙が貧しいだけなのか,あるいは,世代方言の一つとして,それを使う事で同世代の人たちに受け入れられ易いというのがその理由なのか詳しいことは判りませんが.

後者については,私の場合,あまり使うことはありません.これは私自身の好みでもあるのですが,可能な場合,できるだけ「〜申します.」,または「〜申し上げます.」という表現を使うようにしています.申す,あるいは申し上げるのだから,言葉を発したり,それを含む行為,例えば,「お願い申し上げます」,あるいは「お伝え申し上げます.」というようにしか使えないと思う向きもおられるかもしれませんが,これは,それ以外の行為,というより相手,あるいは第三者に対する行為全般をへりくだって伝える場合にも用いることができる表現です.ですから,少々極端な例ですが,お客様がいらした場合,「すぐにお通し申し上げてください.」,または,「すぐに(座敷に)お上げ申し上げてください.」,「すぐに参りますので,それまで,お相手申し上げてください.」ということが出来ます.あるいは,単に「お+動詞+致します.」だけでも十分丁寧な表現に聞こえます.「させていただく」という言葉の連発は,へりくだっているように聞こえないこともありませんが(もちろん,ご本人もそのつもりで使っていることは判るのですが),あまりひとつの表現のみにこだわる必要もないのではないでしょうか.慇懃無礼(今や,死語かもしれませんが)と受け取られる場合さえも無きにしも有らずだと思います.

あくまでも個人的に想定できるケースですが,例えば,電話である商品の紹介を受けたときなど(あまり良い例ではありませんが),「とても便利で,しかもお買い得なので,こうして皆様にご紹介申し上げております.」などと言ってもらえれば,忙しいときはすぐに断りますが, 「この人は,私好みの言葉使いをしている.」などと思って,最終的には断るのを数秒程度伸ばすかも知れません.

とは言うものの,やはり,若い方々にしてみれば,特に後者は,カビ臭い言葉に聞こえるのでしょうね.というか,「何それ!?地球上で使われてる言葉?」とでも言われてしまいそうです.

Tuesday 19 March 2013

Googlemapが示す世界の地震地帯に散在する原子力発電所

ドイツのFocus紙の電子版に以下の記事が掲載されていました.その中で,世界の原子力発電所と地震発生の可能性が高い地域との位置関係を示すGooglemapが紹介されていました.(危険と考えられる施設は,青の印で,そして,特に大規模な事故を起こす可能性が高い施設は,赤の印で表示されています.また,赤や空色で示された線は,プレートの境界を示します.前者は,プレートが互いに離れて行く箇所.そこでは,マグマが噴出し新たな地表面が生成され,後者は,片方のプレートがもう片方のプレートの下に潜り込む箇所で,東日本大震災のような大規模な地震や津波が発生する地域です.)


Monday 18 March 2013

フランスで最も美しい車窓風景をもつ路線のひとつ

通常,パリからニームへ鉄道で移動する場合,リヨン経由のTGVを利用するのが一般的ですが,TGVが嫌いと言う方,あるいは,雄大な自然が展開する車窓風景を楽しみたいという方向きなのが,パリからクレルモン–フェランを経由してニームに至るルートです.特に,美しいのは,ランジャック(Langeac)からランゴーニュ(Langogne)までのアリエ川(Allier)に沿って走る区間で,しかもフランスでは珍しい山岳地帯に敷設された路線のため,トンネル,鉄道橋,築堤などが多く存在し,さながらシヴィル・エンジニアリング の野外展示場といった景観を目にすることができます.

フランス国有鉄道のサイトでこの経路を走る列車を確認すると,パリのベルシー(Gare de Paris-Bercy)駅7:02発の都市間急行(Intercité)5951レでクレルモンーフェランまで行き,同駅発12:40の同じく15951レに乗り換えてニームに向かうことが可能であることが判りました.ニーム到着同日17:49.3時間もかからないTGVでの移動に比べ,こちらは,距離的にはTGVの経路より短いのですが,一日がかりです.

ランジャックからランゴーニュまでの路線には,近年, 地元の元鉄道職員たちが中心となって設立された団体SMATによって,夏の間のみ観光列車が運行されるようになりました.それでも,首都から南仏へ向かう旅行客の大半は,リヨン経由のTGVを利用することに加え,数多くの構造物の保守のために高額な予算が必要なため,国鉄としては廃止という選択肢も検討しているそうです.SMATは,この路線の存続のためにも,ユネスコの世界遺産への登録を望んでいます.

この風光明媚な路線(Le Train Touristique des Gorges de l'Allier)についての詳しい情報は,こちらからどうぞ.(English, French, German pages available.) また,ドイツ南西放送局によって以前に制作された当該路線のリポルタージュの視聴も同放送局のメディアティークから可能です.

なお,上記路線を訪れるSL好きの方には,南仏の美しい風景の中を走る蒸機列車に乗車されるのも楽しい経験になるかも知れません.ニームからは若干離れていますが,路線の名称は,Le Train Touristique de Pignes(松ぼっくり鉄道)*1).蒸機列車は,5月から10月までの間,毎日曜日にPuget-ThéniersとAnnot間で運行されます.運行主体は,プロヴァンス鉄道.鉄道で現地に赴くには,ニースから向かうと比較的接続が良いようです.詳しくは,こちらから.また,電子版Le Monde紙のLifestyleの次の記事でもこの路線が取り上げられていました."Le train des Pignes, vénérable tortillard provençal" 南仏らしい趣のある集落を背景に,美しい石造りの鉄道橋の上を走る可愛らしいタンク機関車は絵になります.


*1) この名称の由来ですが,次の伝説に基づいています.ある,クリスマスイブに,この路線の踏み切り番の家で暖房用の薪を切らしてしまいました.そのことに気づいたある機関士が,自ら運転する機関車の石炭をその踏み切り番に分けてあげました.しかし,この心優しい機関士の運転する機関車は,走行中,案の定燃料が足りなくなってしまいました.そのとき,機関車の石炭庫に無数の松ぼっくり(この地方は,松が多数はえています)が落ちて来たので,それを燃料代わりにして無事に列車は目的地迄たどり着く事ができたというもの.

2013年注目のドイツSL関連イベント(その2)

あくまでも,個人的な好みで選んでいるに過ぎませんが,もう一つ,注目しているのが,スイス国境近のEtzwilenからライン川に架かる鉄橋を越えてRielasingenに至る路線(運行主体は,エツヴィレン-ジンゲン鉄道保存協会:VES: Verein zur Erhaltung der Bahnlinie Etzwilen - Singen)を走る蒸機列車です.

この路線の存在は,ドイツの南西バーデン–ヴュルテンブルグ州およびバイエルン-シュヴァーベン地方の保存鉄道および鉄道博物館のガイドブック"Allzeit gute Reise!"*1)のページをめくりながらたまたま知ったもので,同書の132ページに掲載されている,ライン川鉄橋上を走る可愛らしい蒸気機関車の写真に目が止まり,できれば,いつかこの目で実物を眺めてみたいと思ったものです.

通常,毎年5月から10月の間,数日において同路線に蒸機列車が運行されますが,最近,ようやく今年の運行計画が上記の協会のウェブサイト上に発表されました.それによると,今年最初の運行は,5月11日の土曜日.それ以降は,6月から10月まで毎月第2日曜日毎に3往復することが予定されているそうです.これを書いている時点では,最終的な時刻表は,まもなく掲載されるとのことでした.

可愛らしい蒸機列車の動画映像は,こちらにアップロードされています.


*1) Fleischer, K., Allezeit gute Reise!, Biberach, 2010, Biberacher Verlagsdruckerei GmbH & Co. KG(視易い地図が付いていて,掲載されている写真もとても綺麗で,おまけにサイズも割合とコンパクトなガイドブックです.)

ARTE Reportageが伝えた福島の子供たちの健康への懸念(続き)

3月9日にヨーロッパのテレビ局ARTEが独仏語で放送した報道番組「ARTE Reportage」の中で,原子力発電所の事故後の福島における子供たちの健康状態に関するリポートが紹介されていたので,以下,その内容をまとめてみました.(取材を受けた一般市民の方の名前は,番組では実名が伝えられていましたが,ここでは,ボランティア団体の代表の方などを除き,イニシャルのみとさせていただきます.)

リポート本編が始まる前に,プレゼンテーターが,現在,福島において子供たちの健康に関する限り,「問題は無い*1)」というのが日本政府の見解であることを伝えていました.

まず,リポートの冒頭で,一人の男の子が診療所の診察台に寝かされ,医師により喉の周辺の超音波検査を受けている様子が映され,モニターには,甲状腺の異常(多数の結節の存在)がはっきりと表示されていました.その際,担当の医師は,取材を受けた検査が行政当局の許可の範囲外で行われているため匿名でならということで取材に応じたそうで,顔にモザイク処理がほどこされていました.こうした,行政当局が実施することを認めていない検査の数は,増加し続けているとの事でした.

次に,福島第一原子力発電所と福島市ならびに郡山市の位置が示された地図が表示され,現在,放射能汚染を受けた地区の住民の数は100万人以上,その大半は福島市内および郡山市内で生活しているというナレーションが入りました.

そして,2011年4月から翌2012年の9月末までの期間において, 福島県内の11万人の子供たちに対し,国の管理下において福島医科大学によって実施された検査の結果が紹介され,それによると,検査対象となった子供のうち,42%以上に甲状腺の異常(嚢胞,または結節)が発見されたそうです.そして,検査の一ヶ月後,その結果が,行政側から被験者の家に郵送されましたが,そこには心配は無いという内容が記載されていました.

この通知を受け取った親たちは,こうした行政側の見解および対応にに疑問に抱き,その中の一人,自らの子息の甲状腺に多数の結節が検出されたTokiko Noguchiさんは,定期的に会合を設けて子供たちの健康についての情報や意見交換を行うAssociation 3A(3a!郡山)というグループを立ち上げました.インタビューに答える彼女の言葉は,独仏語に訳されていましたが,途中,吹き替えの音声が途切れたとき,「行政はやってくれないので,行政を待っているわけにはいかないんですね.」というオリジナルの日本語の音声が聞こえました.

検査を実施した福島医科大学は,結節など甲状腺に異常が検出された子供については,2年ほど待ってから再検査することを勧めていますが,多くの専門家たちは,6ヶ月ごとの検査の実施は不可欠との意見を持っています.

現在,日本政府は,福島から他の地域への移住に対しては一切援助は行っていません.そのため,高濃度の放射能汚染を受けた地域を去りたくても,大半の家庭は特に経済的理由などで,その希望を叶えることができないでいます.

日本政府は,原子力発電所の事故の発生以前は,1ミリシーベルトとしていた,一人当たりが年間に浴びる許容放射線量を事故後,20ミリシーベルトに引き上げました.

ここから,番組は,当該のテーマについて三人の専門家に取材した結果を紹介します.

一人目は,上述の子供たちの甲状腺検査を実施した福島医科大学において,福島市民の追跡健康調査の責任を負っているDr. Shunichi Yamashita.Yamashita氏の見解によると,年間の許容被照射線量を5倍,つまり100ミリシーベルトに引き上げても問題はないそうで,そのため,同氏につけられた異名は"ミスター・100ミリシーベルト"とのことでした.実際,インタビューの中で,福島における被照射線量は,殆どの場合が20ミリシーベルト以下であり,健康に問題を生じさせる程度ではない.福島を危険な地域とするのは,完全に誤っていると述べていました.そして,福島の子供たちの42%以上に甲状腺の以上が発生していることに関連して,チェルノブイリで行われた同様の検査の結果との比較についての意見を求められた際,同氏は,42%を越える数の子供たちに甲状腺の異常が発生しても何ら心配は無い.チェルノブイリにおける検査との比較については,検査の時期や,検査に用いられた装置やその感度の相違等により,比較する事自体意味をなさないと述べていました.

取材班は,次に二人目の専門家の意見を求めて,フランスへ向かいます.取材先は,フランスで最も権威のあるガン医療研究所Institut de Cancérologie Gustave Roussy.マイクを向けたのは,国立健康医学研究所(INSERM*2))の研究者Florent de Vathaire氏.同氏の見解は,Yamashita氏のそれと全く異なり,まず,被照射線量とガンの発生率の関係については,(年間)10ミリシーベルトを越えるレベルからガンの発生率が増加する懸念があるとしています.福島の子供たちのケースについては,まず,他の地域の同年齢の子供たちに同じ方法で実施された検査結果と比較する事が重要と述べていました.

そして,最後に登場する専門家は,日本人医師で,行政との関係を持たない福島県内の民間の診療所*3)で医療に従事しているDr. Hiroto Matsue.50年に渡ってガンの研究に携わり,定年退職後,こちらの診療所に勤務しているとのことでした.番組では,母親のSさんに伴われ診療所を訪れた二人の男の子をMatsue氏による検査を受ける様子が映され,その結果,福島医大の検査では長男にのみ発見されていた甲状腺の結節が,次男にも見つかったことが伝えられていました.Matsue氏も,前述のVathaire氏同様,最初に取材を受けたYamashita氏とは異なる見解を持っており,しかも,そうした自らの見解を公表してはばからない数少ない医師の一人と紹介されていました.インタビューへの答えの中で,Matsue氏は,チェルノブイリでは,多くの白血病や心臓疾患が発症した.福島でも,同様の問題が生じるのではないかと心配していると語っていました.

取材班は,次に汚染地域の放射線量を取り上げ,事故発生当時,福島第一原子力発電所から25km離れた地域に住んでいて,事故後,同発電所から65km離れた郡山市内に移住したMさん一家を訪ねます.Mさんは,自ら放射線量計を用いて,自宅周辺の放射線量を継続的に調べていますが,取材時の値は,毎時4.5から4.7マイクロシーベルト*4).これは,国際基準の40倍の量に相当します.Mさんによると,以前は,5マイクロシーベルトだったとのこと.市による除染が実施された地域だったそうですが,その効果は期待されたほどではなかったようです.Mさん家族の心配のたねは,こうした高いレベルの放射線量が検出される場所を毎日子供たちが通学のために通らざるを得ないということです.

こうした状況をふまえ,仙台などでは,行政による子供たちの移住を求める声が上がっていますが,司法の判断を仰いだケースではことごとく住民側が敗訴しています.

現在,福島県では,公立学校の給食への地元産食材の再導入など,子供も含めた市民生活には問題が無いことをアピールしていますが,私立の保育園などでは,依然として地元産食材を避けている施設も少なくないことが最後に紹介されていました.

以上が番組の内容ですが,一言個人的な意見を述べさせていただくと,最近,よく,「日本を普通の国にしなければならない」といった言葉を報道で目や耳にしますが,そもそも,そこで政治家などが言っている普通の国とはどういう国なのか,よくわからないのですが,それより,この国をもう少し「まともな国」にして欲しいというのが率直なところです.さらに言うならば,原子力発電のような,それが一旦事故を起こすと,非常に長い期間において環境や人間の健康に影響を及ぼすような装置はつくるべきではないということです.恥ずかしいことですが,私も,今回の事故が起こって,ようやくそのことに気がついた人のうちの一人なのですが,特に日本人の民族性からそれがいえるのではないかと思うのです.日本人は,全体として過去にこだわらない民族です.別の言い方をすれば,忘れっぽいということです.古代から地震,台風,火山噴火などの自然災害に見舞われ,一つの災害の対応が一息ついても,いつまた次の災害がやってくるか分かりません.場合によっては,前者の対応の途中で容赦なく後者がやってくるかも知れません.そうした条件の下,過去を忘れられるという事は,この国の住民にとって,その生存のために,かなり有利に機能した特性であったと思います.別の言い方をするなら,私たち日本人は,過去に捉えらず,むしろ,それと決別することでこれまで生き延びて来たと言えると思います.しかも,純粋な自然災害の場合,人口の建造物や人命は被害を受けますが,自然自体は,その形状を変化させることはあっても,そのことでそれらに継続的な影響を与え続ける事はありません.純粋な自然災害の被害は,人間が忘れても,自然自体が年月をかけてそれを修復してしまうのです.しかし,今回の原子力発電所の事故でも示されましたが,こうした核災害は,それが環境や人体に与える影響が自然の回復力によって消滅し,その影響の結果が完全に回復される事はほぼ無いのです.上にまとめたARTEの番組で伝えられたように,今,政府や県は,今回の事故について,その影響をできるだけ多くの国民の記憶から懸命に消し去ろうとしているように見えます.日本人の民族性から言って,無理もないことでしょう.明治維新前であれば,まず,間違いなく改元が実施されていたと思います.なにしろ,中国から元号の制度を導入してから,リセット好きなこの国民は,明治政府により,元号が元首,すなわち天皇の在位期間に一致させる迄(それが,本来の元号制度だったのですが),何かいやなことがあると,一人の天皇の在位中であっても,こだわることなく且つ際限なくさっさと改元し続けてきたのですから.

以上のような日本人の民族性を踏まえ,立法,行政はあくまでも安全側に立ってエネルギー政策を立案,実施していただければと思うものです.*5)


*1) フランス語版では,"Tout va bien"(=Everything is OK), ドイツ語版では,"Alles unter Kontorolle"(=Everything under control)と若干ニュアンスの異なる言葉が使われていました.
*2) Institut National de la Santé et de la Recherche Médicale
*3) 「ふくしま共同診療所」という看板が映されていました.

*4) 例えば,毎時4.5マイクロシーベルトを期間を一年とし,単位をミリシーベルトとして換算した場合,39.447ミリシーベルトとなります.つまり,年間20ミリシーベルトさえも越えているのです.4.5 Microsievert per hour [µSv/h]   =   39.447 Millisievert per year [mSv/y], cf. : http://www.convert-measurement-units.com/conversion-calculator.php?type=radiation-dose)
*5) とは,いうものの世界に冠たる博打好きの国民ですものね...一か八かで勝負に打って出る,あるいは勝負は時の運と,偶然に委ねてしまうのも,私たち日本人の特性であることも事実であり,結局,この先も,やることは変わらないかもしれません.今年の参議院選挙で現在の政権与党が大勝まで行かなくても過半数を獲得,結局,原発の再稼働へと進んで行くのではないかといささか暗い未来を思い描いています.それに,全原子炉の廃炉など,アメリカの機嫌を損ねる事は避けようとするでしょうし.中には領土問題を持ち出して,アメリカとの同盟関係が傷つく事を懸念する向きもおられるようですが,そもそも,今のアメリカの世界に対する安全保障政策は妥当,すなわち合理的なものであると証明することが可能でしょうか.それよりなにより,福島の子供たちの健康が,アメリカの政財界のために犠牲とされるようなことがあったらとんでもないことです.干ばつやその他の理由で生きた子供を犠牲として捧げたマヤやアステカの民族ではないのですから.日本でも,人身御供という習慣はあったようですが.)江戸時代,あるいは,第二次世界大戦前位までであれば,こうしたギャンブルに打って出て,仮にその結果が期待に反して被害が生じたとしても,何世代にもわたって,環境や人の健康に影響をおよぼすことはありません.つまり,最悪の人災とも言える災害(Nuclear disaster)と自然災害とでは,質的に全く異なるものであることを,私たち日本人全員が明確に認識することが必要であると思います.

Saturday 16 March 2013

ARTE Reportageが伝えた福島の子供たちの健康への懸念

3月9日に放送されたARTE Reportageを視ましたが,番組が伝えた事態の深刻さについて,今迄,自分があまりにも知らなさすぎていたことに衝撃を受けました.とりあえず,全体を視聴してメモをとったので,詳しい内容は,もう少し気持ちの整理が出来た時点であらためてお伝えしたいと思いますが,番組の中で紹介されていた,2月28日に国連の世界保健機関によって公開された,福島の原子力発電所の事故による放射能汚染の健康への影響に関する調査報告のニュース・リリースと172ページにおよぶ報告書のダウンロード用リンクを下に記載いたしましたので,ご参考にしていただければと思います.
なお,ニュース・リリースならびに報告書は,それぞれ英語の他,フランス語,中国語,スペイン語,アラブ語での閲覧,そしてこれらの各言語で書かれたもののダウンロードが可能です.

ニュース・リリースをご覧いただくとお分かりのように,次のように書かれていました.(以下の英文は引用です.)
In terms of specific cancers, for people in the most contaminated location, the estimated increased risks over what would normally be expected are:
  • all solid cancers - around 4% in females exposed as infants;
  • breast cancer - around 6% in females exposed as infants;
  • leukaemia - around 7% in males exposed as infants;
  • thyroid cancer - up to 70% in females exposed as infants (the normally expected risk of thyroid cancer in females over lifetime is 0.75% and the additional lifetime risk assessed for females exposed as infants in the most affected location is 0.50%).
For people in the second most contaminated location of Fukushima
Prefecture, the estimated risks are approximately one-half of those in the location with the highest doses.
この中で,やはり一番気になるのは,最後の甲状腺がんの発症の可能性についての言及です.最も汚染度の高い地域においては,年少の女子における甲状腺がんの発症の可能性は最高で70%増加するということです.

Friday 15 March 2013

お知らせとお詫び

この前のポストと以前に掲載したポストに,今回のドイツ語研修のクラスにおいて配布いたしました資料のPDFファイルのアップロード先のリンクを載せておりましたが,教育機関における必要部数のコピーおよびその配布とは異なり,こうした形態でのウェブ上における公開は著作権法に抵触する可能性があるため,誠に申し訳ありませんが,アップロードした当該ファイルおよび当該ファイルへのリンクは削除させていただきました.ご迷惑をおかけいたしますが,何卒ご了承いただきますようお願いいたします.

ドイツ語文法参考書

本日迄の研修にご参加された皆様,本当におつかれさまでした.また,最後迄熱心にご聴講いただき,誠にありがとうございました.今後の尊社のますますのご発展ならびにご赴任先におきましての皆様のご健勝,お仕事のご成功,そして,ご家族様のご息災を衷心よりご祈念申し上げます.

なお,本日,ご質問のありました,クラスでお配りした資料の原本ですが,以下のとおりです.
  •  Sarah Fleer著, Langenscheidt Kurzgrammatik Deutsch, Berlin, 2008, Langenscheidt
上記書の良い点は,何と言ってもそのページ数の少なさ,また,サイズのコンパクトさです.そして,説明が十分ながらも簡潔であること,すなわち文字数が少ないということ,そのかわりに語尾変化などを示すさまざまな表が見やすく,しかも充実していることです.この本において解説されている文法事項のレベルは,欧州の共通基準(European Framework of Reference for Languages)におけるA1からB2までです.それ以上となるとCレベル(ほとんどネイティブに近い)となりますので,私たち外国人が,基本的に業務上では英語を使い,それ以外の場において現地語を使うというケースでは,この本でカバーされているレベルは十分以上のものです.なお,同じくドイツの出版社Dudenもドイツ語関連のさまざまな参考書を発行していますが,このような手軽なものはないようです.

また,必要に応じて下記の文献からの情報(たとえば,ある品詞の前に,その修飾語としてさまざまな品詞をつなげてひとつの品詞にする際(Wortbildung durch Zusammensetzung)の規則など)も今回の資料に含めました.
  •  Heuer, W., Flückiger, M., Gallmann, P.共著, Richtiges Deutsch, Zürich, 2004, Verlag Neue Zürcher Zeitung
こちらは,スイス人の翻訳家の友人から勧められたもので,スイスの新聞の主要紙の一社が発行しており,ネイティブが業務文書,学術文献を書くための文法解説書のため,通常は必要はないと思われます.(加えて,ハードカバーでページ数も多く,しかもサイズも大きく,おまけにほとんど文字だらけということもあり,手軽に使えるものとは到底言い難いため,私自身も止む得ない場合のみに使う程度です.もちろん,非常に詳細な解説が載っているため,この本に助けられる場合があることも事実です.)

以上,取り急ぎお答え迄.

With all my best wishes and best respects,
looking forward to seeing you again, perhaps in Germany or in Switzerland.

原鉄道模型博物館を訪れて思い出したこと

今日,仕事の帰り,以前から是非一度訪れたいと思っていた横浜の原鉄道模型博物館に赴く事ができました.現在,日本の電気機関車の黎明期,すなわち対露戦争後,対米戦争前までの時代に英国やスイスなどから輸入されたマシンや,国産のマシンなどに関する展示が開催されているという事だったので,特にそれがお目当てだったのですが,それ以外のものも含めた展示物もさることながら,さらにそれらを通して伝わってくる私たちの大先輩の原さんの鉄道に対する思いと情熱に圧倒された感を持ちました.しかも,嬉しかったのは,大ジオラマのやや右側に位置している転車台の後方の扇形機関庫に居並ぶ機関車群の中から,一台,ドイツ国有鉄道のBR10形機関車(私のお気に入りの機関車のひとつ)が他機より少し前に出た形,つまり結果的に目立つ形で展示されていた事です.

なお,展示されている模型の中に往年のヨーロッパの名列車ラインゴールド号を見つけましたが,この列車の豪華さをとりわけ際立たせているのがビスタドーム*1)を備えた一等展望車(Aussichtswagen)です.それを見て,確かドイツのどこかの鉄道友の会が,この車両も含めた編成のラインゴールドをたまにイベント列車として走らせていたことを思い出しました.帰宅後,早速,手元のドイツ語圏(ドイツ,スイス,オーストリア)の保存鉄道や鉄道博物館を網羅しているガイドブック"Museumsbahnen"*2)で確認したところ,75ページに,運行主体はケルン鉄道友の会(Freundeskreis Eisenbahn Köln)で,ウェブサイトはwww.rheingold-zug.comである旨が記載されていました.

上記のサイトを眺めてみると,例えば,次回の運行は今月の30日で,出発地はケルン,途中エンメリッヒ(Emmerich)までは,電関によって牽引されますが,その後,目的地のアムステルダム(さらにHoornまで向かうようです.)は,何と三気筒のパシフィック蒸機01 1075が牽引するそうです.もちろん,食堂車も連結されていますから往時に思いを馳せさせながら豪華な食事も楽しむ事ができます.参加できる方はうらやましい限りです...

一昨年南ドイツを旅行中に見かけた,Aglis鉄道の列車に連結されていたラインゴールド(TEE)塗装の食堂車.屋根にはパンタグラフが見えます.

さらに,鉄道模型関連では,先日,ドイツ南西放送局で放送された番組「鉄道ロマン」("Eisenbahn Romantik")で,ニュールンベルグで開催された鉄道模型メッセの模様がリポートされていましたが,嬉しく思ったのは,日本の企業カトー社も路面電車の模型レイアウトなどを出展していたことです.日本の住宅事情に併せ,簡単に組み立てや片付けができるというのが特徴と紹介されていました.


*1) 現在,これに類する車両が使用されている列車というとカナダ横断急行(Transcanadian Express)くらいではないでしょうか.(同列車のThe GoldLeaf dome coach)スイス連鉄(SBB)の展望車(SBB-Panoramawagen)などもビスタドーム形式ではありませんし.
*2) Museumsbahnen 250 historische Eisenbahnstrecken in Deutschland, Österreich und der Schweiz, München, 2012, Bassermann Verlag(日本からでもAmazon.deで購入が可能です.ドイツ語圏の保存鉄道に興味のある方にはお勧めしたい一冊です.なお,写真も含め,情報が豊富でありがたいのですが,ハードカバーで雑誌サイズ,さらにページ数も多いため,携行には不向きです.)

Monday 11 March 2013

オンラインドイツ語文法解説

Deutsche Grammatik 2.0

上記は,残念ながら,ドイツ語によるドイツ語文法の説明のため,理解するためには,多少ドイツ語に慣れている必要がありますが,非常に分かり易く書かれているのでお勧めしたいサイトです.

Sunday 10 March 2013

オンライン英独・独英辞典と動詞活用辞典

  • オンライン英独・独英辞典:比較的使い勝手が良く,個人的に利用頻度が高いのは,dict.ccです.便利と思える点は,例えば,"setzen auf"などと動詞と前置詞を組み合わせたまま,検索できることです.そうした場合,英語では,"bet on"などと,それに相当するidiomが表示されます.検索結果は豊富で見易く,もちろん,音声データも提供されています.このサイトは,英語だけでなく,韓国語やラテン語など,多くの言語とドイツ語の相互検索が可能なのですが,なぜか日本語だけ提供されていません.これで,日本語も提供されていれば言う事はないのですが...
  • 動詞活用辞典http://www.verbformen.de/が見易くお勧めできます.

ところで,上記の2サイトですが,前者においては,検索する単語,あるいは単語群を入力するテキストボックスのすぐ右にä,ö,üなどの表示があるので,それらが含まれている単語を入力する場合は,単純に当該の文字をクリックすればよいのですが,後者については,動詞の原形を正確に入力する必要があります.その場合は,ä,ö,üをそれぞれ,ae, oe, ue, また,ßは,ssと入力してください.

また,お使いのキーボードにドイツやオーストリアで用いられている配列を設定すれば,これらの文字をそのまま入力する事が可能ですが,その場合,ZとYの位置が入れ替わるのでご注意ください.また,ドイツやオーストリア,さらにスイスで用いられているキーボードには,Alt Grキーがついていて,例えば,電子メールアドレスの@などは,それを押下したまま,Qのキーを押下すれば,入力されますが,日本で一般に用いられている109キーボードには,Alt Grキーは存在しないため,ドイツやオーストリアの配列(QWERTZ)のままでは,@などは入力できません.なお,QWERTZは配列については,WikipediaのQWERTZ配列などをご参照ください.

エジプトの女性解放運動の活動家を支援するためにもろ肌を脱いだ40人のイスラエルの女性たち

3月1日にARTEで放送されたReportageの中で取り上げられた話題をもうひとつ.

イスラム法を新憲法の中に組み入れようとする現政権に対する抗議から,自らの全裸の写真をそのブログに掲載したエジプト人アリア・エルマハディさん(Ms Aliaa Elmahdi or Aliaa Elmahdy).現在は,滞在先のスウェーデンで亡命が許可され,希望する映画学校への進学のための奨学金も得る事ができたそうです.

面白かったのは,アリアさんの活動を知った,イスラエルの音楽家オルカ・テプラーさん(Ms Orka Tepler)さんと友人たち40人が,彼女を支援しようと,やはり衣服を脱いで撮影した集合写真を公開したことでした.オルカさんによると,アリアさんのことを知ったとき,丁度,彼女の国イスラエルでは,やはりユダヤ教の保守勢力が,バスの車内で男女が同じ席に腰掛ける事を禁止するという法律の制定を図っており,それに対する反発を強めていたオルカさんが,アリアさんの行動に共鳴し,こうした行動に出る事にしたそうです.最終的に中東に平和を確立するのは,女性なのかもしれませんね.生物学的に言っても,種の保存の本能はやはり女性だけが持っているものなのかもしれません.

同じリポートの中で,エジプトで,女性の権利擁護と地位の向上のために活動している,医師であり,作家のナワル・アル・サアダウィさん(Ms Nawal El Saadawi)も紹介されていましたが,80歳を越えた今でも,カイロの広場に赴き,イスラム法を引用して一夫多妻制は神によって認められていると主張する男性たちと,同制度に反対する彼女の議論の様子は印象的でした.さらに,特に共感を覚えたのは,取材班からのインタビューに対して語られた彼女の以下の言葉でした.

"私たちは,軍事独裁政権と戦いました.そして,今は,宗教の独裁政権と戦っているのです.後者は,前者より危険です.なぜなら,軍人たちは,実弾を発砲したりしますが,彼らとの対話は可能です.しかし,宗教による独裁政権とは対話は不可能なのです.彼らは,神の名のもとに語ります.神と討論することなど許されないでしょう."

まさに仰る通りと思います.チュニジアから始まった一連の,アラブの春と呼ばれる出来事ですが,日本を含め,先進自由主義諸国は,中東の民主化が始まったと諸手を上げて歓迎しました.しかし,中東や北アフリカのイスラム圏諸国は,ヨーロッパ諸国が経て来たような歴史を持っていません.すなわち,後者においては,宗教革命やルネサンスを経て,市民革命が起きました.しかし,アラブの国々では,こうした一連の西欧的な近代化の過程が存在していないのです. 人間の言語で書かれた神からの啓示を批判的姿勢で分析し,同時に,人間の知識や認識の限界を認め合う,つまり,神の絶対性はあくまで個人の信仰の領域にとどめ,公共の領域ではそれを相対化する事で,初めて,異なる見解を持った当事者同士の対話,さらにそうした姿勢を基礎として民主主義の実現は可能なのであり,そうした前提が無い場合は,民主主義に基づいた近代市民社会の実現は,容易なことではないのではないかというのが,個人的な思いです.確かに,タリバンに属する夫により鼻を切り取られた女性のニュースなどに接すると,イスラム教の教えに厳格に従う社会では,色々な形で女性への激しい差別や抑圧が行われており,それに対する一部の女性たちの反発が,ときにこうした極端な形で現れる事も理解できないことではありません.しかし,果たして彼女たちと伝統的,保守的なイスラム教徒たちとの間に相互理解,そして和解は可能でしょうか.結局,このまま,互いを徹底的に否定し合うことが続いてしまうのではないか,しかも激しさを増し加えながら.そんな懸念を抱いています.個人的な体験からお話させていただくと,フランスの大学で初めてフランス語を学んでから,数年前のアルジェリア勤務に至迄,これまで本当に多くのイスラム圏諸国の人たちにお世話になってきました.*1)彼らのやさしさ,心の豊かさには,安らぎや羨望を覚えたものです.そうしたイスラム圏諸国において,外国人を含む多くの犠牲を出している混乱が続いていることが本当に残念でなりません.

なお,日本も宗教革命や,ルネサンス,さらに市民革命も経験していません.しかし,日本の場合は,幸か不幸か,その宗教に対する基本認識が言語による啓示宗教のそれではなく,神と人間やそれ以外のもののすべての関係を情緒的なもの,すなわち,母親と小児との間に存在するような非言語的関係として捉える自然宗教に対するものです.そのため,少々荒っぽい言葉で表現するならば,最後は,みんなで家族としてまとまろうといったスローガンでまとまることができるのです.(少なくとも,これまでの話ですが...)たとえば,明治政府のイデオローグ井上毅によって構築された明治政権の政治システムも,国民全員をひとつの家族として,その家父長(Patriarch)として天皇を置くというものでした.もちろん,日本のような国でも,まとまりが良い分,一旦誤った方向に進む*2)と前大戦のような悲惨な結末に至る場合があることも事実ですが.そして,そうした場合,誰の責任も明らかにされないということも...


*1) 例えば,昔,一週間程滞在したパキスタンのカラチでは,一人で散歩の途中道に迷っていた,通りかかったタクシーの運転手さんから声をかけられ,事情を説明したら(英語で)無料でホテルまで送ってもらったこともあります.また,最近でも,ドイツを旅行中,駅のホームの券売機で切符を買おうとしていると,丁度到着した列車から降りて来た,身長の高いスポーツ選手風のアラブ系青年から,「自分はもう使わないから,列車に乗るんだったらこれを使ってください」と人なつこそうな笑顔を見せながらも,少々強引にその日有効の一日乗車券を渡された事あります.(法的に問題があるといえばあるのですが,親切には感謝しました.もっとも,似たような経験をスイスでもしたことがあります.そのときは,地元の紳士から頂きました.節約を好むスイス人のことなので,まだ有効期間が残っているものを捨ててしまうのはもったいないのだろうと,そのときは,感謝すると同時に思いましたが.
*2) より正確には,ホイジンガが,ナチス政権の樹立後執筆した『朝の影の中に』で言っている「小児的心理の大人」 的傾向が強くなりすぎると,つまり,空想や夢想と現実を混同して,国の進路を決定づけるような重大な局面に於いて合理的な判断ができなくなるとと言うべきですが.

Saturday 9 March 2013

シリアの子供たちの叫び

"Je jure de faire disparaître Assad!
Notre révolution est pacifique,
notre arme, c'est notre langue.
Nous ne tuerons personne,
nous aimons notre patrie.
Pas de ségrégation, nous sommes
de toute les confessions.
Comme des frères,
nous formons un seul corps.
Nous voulons la liberté
pour l'humanité."

1週間前に放送されたARTE Reportageの中で,シリアの子供たちについてのリポートの最後,ヨルダンに逃れて暮らすシリアの子供たちが,建物の屋上から国境の向こう側,自分たちの故郷デラア(Deraa)の方向を観ている様子が映し出されました.彼らの中には,2年に及ぶシリアにおける革命のきっかけ*1)をつくったムハメド君(当時12歳)と友人のヤザン君(当時10歳)がいました.そして,居並ぶ子供たちのなかの一人の女の子が暗唱してくれたのが,上記の詩です.もちろん,アラビア語でしたが,フランス語の字幕が表示されたので筆記しました.以下,拙いながら,日本語に訳してみました.

”僕は,アサドを倒すことを誓う!
僕らの革命は,平和革命だ.
僕らの武器,それは僕らの言葉だ.
僕らは,誰も殺さない.
僕らは,僕らの祖国を愛する.
どんな宗教を持っていたとしても,
僕らの間には,分裂などない.
兄弟のように,僕らはひとつだ,
僕らは,自由を求める,人類のために."


*1) 今回,ARTEの取材班が直接二人から得た証言によると,今から凡そ2年前の2011年2月11日,彼らは,その直前にテレビでエジプトの子供たちが,革命のスローガンを壁に落書きしているのを見て,自分たちも同じことをしようと考え,通っている学校の壁に,「自由」,「解放」,「みんな,政権の崩壊を望んでいる」と言った内容の落書きをしました.しかも,自分の署名入りで.その後,彼らを含む17名の子供たちが,警察によって逮捕,監禁され,殴る蹴る,感電,また,タバコの火を押し付けられるなどの暴行を受けました.中には,指のすべての爪をはがされた子供のいました.そして,その結果,彼らのうちの数名の子供たちが命を失いました.親たちの抗議を受け,治安当局は,子供たちを解放しましたが,もちろん,民衆の不満は治まることはなく,これまでに多くの子供を含む62000人もの死者を出すに至った内戦へと発展したのでした.番組では,今やヒーローとなった二人の少年へのインタビューを模様を流していましたが,ムハメド君の父親は,もし,息子がアサド軍に捕らえられたら,その場で殺されるだろうと言っていました.

* 現在,多くの家族がシリアを逃れてヨルダンに避難していますが,そこで子供たちの世話をしている団体"Save the Children"のサイトへはアクセスはこちらから

Wednesday 6 March 2013

ドイツ語に慣れるためのヒント(その1)

A. 語彙を増やすためにイラスト付きの辞書を使ってみましょう.
  • 書籍:例えば,Amazon.deで入手可能なものとしては:German-English Visual Bilingual Dictionary: English - German / German - English (DK Bilingual Dictionaries) [Taschenbuch]

があります.値段は,10ユーロです.(Amazon.co.jpでも購入可能です.)この辞書で良い点は,辞書ですから当然でしょうが,各名詞に定冠詞が付されているので,それぞれの性別も同時に覚える事ができるということです.
  • オンライン:http://bildwoerterbuch.pons.eu/などを使ってみましょう. 使い方は簡単で,画面左側のメニュー(Themenbereich)の中で,調べたい分野のアイコンをクリックします.例えば交通に関する語彙の場合,Transport  und Fahrzeugeをクリックします.すると,その下にさらに細かい分野が表示されるので,見たい分野をクリックします.
B. 音に慣れるために,テレビ番組やDVDなどを視てみましょう.
  • テレビ番組:このブログにもリンクを載せていますが,お勧めしたい放送局は,ARTEです.そして,特にドイツ語学習の初心者の方にお勧めしたいのが,同局のニュース番組ARTE Journalです.ドイツとフランスによる共同運営という事で,ヨーロッパ全体の情勢,さらに世界の情勢が,広い視野から取材報道されています.ARTE Journalは,毎日,昼の12:45から10分間,夜の19:45から20分間と2回放送されます.なお,これらのニュース番組は,ARTE+7のリストの中に含まれていますが,他の番組と異なり,ウェブ上での無料視聴可能期間は,それぞれ,次回の放送開始時刻迄です.つまり,今日のお昼のニュースは,明日の放送開始時刻の12:45まで,同様に,19:45の夜のニュースは,やはり翌日の同時刻までが視聴可能期間というわけです.もちろん,日本で視聴する場合は,それぞれ,8時間遅れとなります.なお,鉄道ファンの方にお勧めなのは,ドイツ南西放送局のEisenbahn Romantikです.こちらは,現地時間の毎週土曜日夕方16:45からの放送で,日本では,同局のアーカイブサイトMediathekから過去の放送分が視聴可能です.
  • DVD/BR: 最初は,内容が分かっているものから始めるのが良いかも知れません.例えば,『千と千尋の神隠し(Chihiros Reise ins Zauberland*1))などの日本のアニメーション映画は,Amazon.deで購入が可能です.通常,音声は,原語,すなわち日本語とドイツ語のどちらかが選べるので,ドイツ語を選び,さらに,字幕(通常は,ドイツ語のみ)をONにして鑑賞してみたらいかがでしょうか.(もし,Amazon.deにおいて,日本映画を探す場合は,検索のテキストボックスにJapanische Filmeと入力します.)

*1) ご参考迄に,フランス語では,"Le voyage de Chihiro"です.こちらのDVDはAmazon.frなどで購入可能です.